2013年1月18日金曜日

WB=ホワイトバランスの話~正確な色


 しょーじき、どーでもいい話。
 と、言うと、叱られそう。

 でも、印刷でもしないかぎり殆ど必要ない話だよ。

 大体はオートホワイトバランス(AWB)と、現像でどうにかなる。
 「後でどうにかなるからって、問題を放置するのは良くない」と言う精神論は好きじゃない。データ上ほぼ同じ結果になるなら、楽な方がいい。楽なのが駄目だと言うなら、デジカメを投げ捨てて、セーム革で銀の板磨いていらっしゃいと。
(こう見えても化学の出なので、お金とドラフトチャンバーさえあれば、やれるんですよ。つかやりたいんですよ!)

 今のデジカメのオートホワイトバランスは優秀で、水銀灯や演色性の悪いLEDなどよっぽど特異な照明でもない限り、大体上手く行くものです。(完璧だと言えないのは分かりますが)
 仮に思った通りに行かなくても、現像の時に好きなように動かしてやれば、意外な発見もあって楽しいですよ。
 むしろ、ここでの微調整で、自分の好きな色に持って行く作業って結構好きなんですけどね。(と言って本気で追い込むのは、よっぽど調子のいいときだけですが)


 それに、ホワイトバランスを本気で求めるなら、グレーカード使うとか、カラーメーター使うなりするべきなんだけど、そういうの面倒くさいじゃん。(お金掛かるし)
 モデル立てて個人撮影やるとか、スタジオに籠もってブツ撮りやるって言うんじゃなかったら、そんな暇ないでしょ? スナップショットにせよ、オフ会で遊ぶなりにせよ。

 コスプレっぽいモン撮ってたときに、一度グレーカード持ってったけど、全然使わないの。
 しかも、照明の色温度が統一されていないとか、自然光と照明が混じるとか、そんな風になると、立ち位置によって、WB崩れるし……ってんで、超役に立たない! (単に、一人で焦ってる可能性もなくはないが)
 そういう場面にでも、人を待たせて優雅に撮影できるメンタルの持ち主なら構わないんだろうけどなぁ。


 と、ここまで言うけれど、印刷する上、色の再現性がどうしても必要な場合は、やっぱりWBは気にしなくちゃいけないんだろうけどね。
 そうなると、照明もヘンテコなもの使えないし、何だかんだでカラーメーター使いたいし……ってなる。
 そうした上で、ディスプレイも安いものを使っていてはならない。表面上似たようなスペックなのに無駄に高いディスプレイが売っているが、あれは色再現性を高めたタイプなんですよ。
 そんでもって、そのディスプレイのキャリブレーションをやって……って事をして、印刷物と編集環境の色彩を統一させるんですよね。
 そんでもって、写真集作る場合なんかは、印刷所選びから初めて、気に入った色を出してくれる所で、何度も校正刷りを経て、「この色!」って印刷物を得る訳なんですよ。

 何もそこまで……って言うんだろうけど、これは一種の「証明」なんですよね。その「証明」って作業は、一つの点でも手を抜けば、他の全ての部分が怪しくなってしまう。
 (その色の)「確からしさ」は、工程を経る毎に低下していきます。努力しても低下の度合いを最低限に止めるだけです。だから、一度落ちた不確実さは、他で頑張ればリカバリーできるって事はない。


 印刷しなくたって、色を気にした方がいいだろ! って意見も分からない事はないけれど、他の人のディスプレイの設定を、我々がどうするって事は出来ない。
 だから、自分のディスプレイで「完璧!」と思っても、人の家のディスプレイで見ると「イマイチ……」ってなりかねない。
 これは、どんな優秀な機械を使っても無理なものは無理なんだから、(正確な色再現は)諦めるしかない。



 写真は科学的――光学的、(物理)化学的、電子工学的――な芸術だ。だから、肝心要の部分(プンクトゥムや決定的瞬間など)以外は、全て科学的に再現できる。
 論理的に無理なものや変わりのないものを、精神論でねじ曲げようとするのは、科学に反する。
 追求すべき所は、徹底的に追求すべきだし、必要性のない所に力を注ぐのは無意味だ。
 科学は、その中間点と言うものを本来とるべきではない。予算の都合などにより、制限を受けることはあるだろうが、己の恣意的な事情によって決定されるべきではない。
(尤も、必要性を何処に求めるかって所に、人の個性が表れるのだけど……)



 長々書いてきたけど、日本人男性の22人に1人は色覚に何らかの問題がある(仮に日常生活に支障がないにしても、他の21人とは違う色を見ている)のだから、自分の意図した通りに見えない人は、案外多いと言える。
 フィンセント・ファン・ゴッホが色盲だったなんて説もある。動物によって認識できる色の波長が異なる――そういう所からすると、"健常者"の言う色が本当に正しい色だと断言は出来なくなる。

 仮に何もかもが"正常"(せいぜい多数派と言う意味だが)だとしても、「その人がどのように受け取るか」って問題、例えばクオリアの次元まで下りてくると、何一つ確かな事は言えない。
 赤いリンゴを赤としてみているその色は、他の人には青色なのかも知れない。単に、その色を「赤」と命名しているから、双方食い違った意見にならないだけで……

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