昔、コスプレっぽいモン撮ってたとき、ケイタイで撮るのは失礼だと抜かす野郎がおりまして。
その頃には、ケイタイの画素数は充分にあったし、画質的にそれほど酷いモノではなかったわけですね。
彼の心根を解体すると、俺様は高いカメラじゃないと、写ってやらないぞ。と言う事なのでしょう。
でなければ、私を遠ざける口実が何か欲しかったのか。
いずれにしても、人から嫌われやすい性分というのは、偽りのない人間性を如実に観察できるので、何かと便利です。何故なら、何とか好かれようと無駄な努力をする必要がないですからね。
それは兎も角、ケイタイで撮ってダメなものは、デカイカメラでもダメなんですけどね。その辺を勘違いしている人もいるようで、色々困ります。一眼レフの俺の方が優先順位があるんだみたいな顔で、通路に三脚立てて撮ってるバカとか。
以下の三枚のウチ、一枚がフルサイズです。みたいな話をしよう。
「写真の腕がイマイチだからどれも一緒なんだ」と言われたら泣くしかないのですが、上から順に、iPhone4S、D300、Rollei35Sだったりします。(D300SだったらS繋がりで良かったのですが……)
面倒な話は抜きにしますが、(主にレンズの問題で)一眼の方が綺麗に写りやすいです。だから、大きなカメラを持つ事には意味があります。
でも、iPhoneやHOLGAで撮影した写真集があるように、カメラの性能と写真の善し悪しは無関係です。
性能と言うのは、必要なものを得るための道具でしかなく、自分の表現にそれが必要かどうかと言う一点で、多くの人が一眼レフを選んでいるだけなのです。
"きれいな写真"が悪いとは言いませんが、そう言っていながら、撮っているものが"俺の記録"程度のものでは悲しいですよね。
先の話に戻りますが、コスプレなんかを撮影している人は、何のために撮影しているのでしょうか? (彼氏彼女の関係、或いは、友達同士で撮影している場合を除く)
被写体に許可を貰って(または無許可で)、コスプレ写真のサイトを開いている人は大勢いますが、イベント会場でのカメコの数からしたら少ないですね――となると、自分一人か、せいぜいお友達の間で共有して楽しんでいるだけなのでしょうか?
反論や抗議を覚悟で書くと、レイヤーさんに「写真を撮らせて貰った」とか「言葉を交わした」とか「イベントに参加した一員だ」と言う意識のために、つまり補償行為としての撮影なんじゃないかと。
コスプレっぽいモン撮ってた時期によくあったのが、記念撮影ですね。
特に顔見知りって訳でもないのに、とりあえずそこら辺にいる同好の士を集めて、一つにまとめて写真を撮るヤツです。
通路を塞いだりとか、色々と問題が多い行為って事もそうなのですが、カメラが取り囲んでいて、どーせ目線なんて一つも揃いやしないのに、何でそんなモン撮りたがるのかな?
と言えば、「それだけ交流できた」とか「立派なイベントに参加した」と言う自己満足のためにアレ撮ってるんですよね。
同様にして、鉄道撮影、通称撮り鉄もそうじゃないですか? お葬式鉄とかね。
ちょっとググると分かりますが、電車を綺麗に撮影するなら、目的の電車が入線するホームの向かいのホームで撮影するんですよね。ホームに隠れてしまう部分もしっかり撮影するために。
でも、現実、駅にいる種族。何かの電車のラストランに遭遇すると、そんなことしない連中ばかりなんですね。つまり、いい写真が撮りたいわけじゃないんですよ。
これは、オタクだけの話なのか? と言いますと、そうでもなくって、何事かイベントがある度に、"新奇なもの"を見つけて撮るために写真をやっている人もいます。
でも、「新しい写真撮るために出かけなきゃ!」とか「最近出かけてないから写真撮ってない」ってのは言い訳なんです。
別に、「沖縄の写真は、京都の写真は、地元の人間じゃないと撮れない」とか偏狭な事を言うつもりはないですが、写真が目的なのか、撮影が目的なのかって事をしっかり区別を付けないと、"写った"って事だけが満足のバロメーターになってしまう。
いやまぁ、カメラを買っただけで満足する人、撮れただけで満足する人。それで幸せになるのなら、その幸せを否定する権利を私は持っていないのですが……
世のオバサマ、オジサマを観察していると、自分の旅行自慢を何の脈絡もなく始める人がいるじゃないですか。
ああいう人の話を聞くよりも、歴史好き、地理好きの人の方が楽しいですよね?
「見た」とか「体験した」ってだけでは、人が高まれる訳じゃないけど、そう思っている人が多いから、秘境ツアーだの軽装での登山だのをさせるツアーが流行るんですよ。
カメラも似たようなセンで買っている人多いんじゃないかな?
そう考えると、写真共有サイトにメシの写真を上げるのも似たようなモノか……そう言うものかな。時代かな。
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