2014年10月27日月曜日

レンズを捨てて街に出よう

 「もしもの時の為に望遠」ってどうなんだろう? 「取り敢えずビール」みたいなものなのでしょうか?

 旅行中に、山で猿を見かけるかもしれない、空に猛禽類が飛んでいるかもしれない……と言う可能性に対応するために、使うかどうか不明な重い望遠レンズを持つ必要があるだろうか?

 野生動物にしても、何にしても、望遠レンズを使うような撮影で、「コレ」と言える写真を手にするには、しっかりした準備と、タイミングを伺う時間が必要なのではないか?
 決定的瞬間とは、偶然性に期待することではなく、偶然に己が接近していくことのように思う。


「いや、それでも、スーパー林道走ってたら、鹿の姿が見えたら、取り敢えず撮るじゃない?」
 と、言うのは凄く分かるし、僕だって、手元にスマホしかなくても撮ると思う。
 そうして、「そういや、この前ドライブしたら、鹿の親子見かけてさ」なんて言いながら、微妙な写真を見せたりするだろう――そんなのは酒飲み話だし、画質なんかよりも、話の枕にするには充分なわけじゃない。

 だから、「もしもの為」は分かる。けれど、それはやっぱり「作品」じゃないよね? と。

 否、単に記録写真として必要というならば、高倍率ズーム一本に絞ればいい訳だし、もっと踏み込めば、ネオ一眼とか言われる高倍率ズームのコンデジでいいんじゃないかな。


 別に、記録写真を馬鹿にするつもりじゃなくて、「作品」なのか「記録」なのかを、その都度分けて考えないと、何もかもがチグハグな写真になってしまうと思うわけですよ。

 記録写真に要求される絵と、作品としての絵って別だし、絵が変わるという事は、当然、要求される技術も異なる訳で、その辺をはっきりさせなくちゃ。


 そういう意味で、「スマホで料理を綺麗に撮ろう」ってのは、クソリプよろしく「綺麗に撮りたいなら一眼レフ用意しろよ」みたいなのは無意味で、「気軽に撮って、人に自慢出来る」事が目的なんだよと。
 それなら、「Snapseedで加工すればいいじゃない?」ぐらいの事は言えるし、「このカメラアプリ使えるよ」とかその辺を紹介すると喜ばれるのです。


 要は、オタク化すると、自分のやっている事が全てのように見えてきてしまう危険性があるわけですよ。

 乗り鉄にダイヤを聞くと、鉄道会社の都合みたいなどーでもいい情報を付帯したり、PCが欲しいって話すると、グラボの性能がどうのうって話をする人がいますね。でも、一般人からしたら、早く安く楽に行ける事が重要だし、PCも目的に合う限りで安いのが欲しい訳なんですよ。

 その辺からすると、「もしもの望遠」ってヤツは、東京の人が出張で札幌行くのに、わざわざ電車で行ったりするようなものなんじゃないかな。
 或いは、楽しくて酒を飲むのと、ただ飲むと言う行為のためにだけ酒を飲むのの違いや、SNSで疲れてしまうのにも似ているかな。

 趣味ってのは、自分を自由にする為に取り組むもので、それに拘束されたら中毒だよ。

2014年10月24日金曜日

今日の名駅

送信者 名古屋駅界隈

 先回「望遠あんまし使わねぇし!」とか言ってて、いきなり300mmを持ち出した件。
 でもこれ、Photoshopで二枚貼り合わせてあるし、そう言う意味では、あんまし望遠じゃない……って、85mm寝かせれば良かったんじゃないかとか色々。

2014年10月22日水曜日

みんな望遠好きねぇ

 最近見かけたニュースをざっと……


オリンパス、40-150mm F2.8 PROを11月29日に発売 ~ テレコンとともに品不足を予想(デジカメWatch)

シグマ、150-600mm Sportsの供給不足を告知(デジカメWatch)

ニコン、1 NIKKOR VR 70-300mmの供給不足を告知 ~ 注文多数で生産が追いつかない状況に(デジカメWatch)


 40-150mmに1.4倍テレコンを付けると換算112-420mm、ニコワンは換算189-810mmだから、なかなか随分な超望遠。

 撮る対象がはっきりしていたら、それに迫りたいのは当然のことで、そうなると望遠が必要になると。
 立ち入れない、近寄れないとなると、望遠レンズが必要だからね。


 でも、300mmでさえあんまし使わない人がここに……

2014年10月20日月曜日

代用特性

 世の中は複雑だ。人生も何もかも複雑だ。そこで何かを正当に評価するには、あらゆる条件を勘案し、裏の裏まで考えなければならない。
 人間、何をもって幸せなのか、皆好き勝手に言っていて定まらない。自分自身の幸せを誇示するために、金だ家族だ、社会的地位だ、果ては会社にどれだけ無料奉仕したのかだなんて言い出したりする。
 それらは、それぞれ正しいし、人によっては、その中の一つで満足するだろう。一方、思いついたもの全部あっても満足しない人だっている。結局、これに関して、何が頂点であるだなんてものはないのではないか?

 ヒントとして、適応地形という考え方がある。
 動物が進化していくとき、より多くの子孫を残すと言う目的(=山の頂点)に向かって、様々な特性を変化させていく。
  子供をたくさん産む、一つの子供を大切に育てる、長くしぶとく生き残る、細かいサイクルで環境の変化に敏感に己を作り替えていく……様々な特性を発揮した結果、山の頂点に立った者が生き残る。
 この条件と結果を、仮想的にグラフにしたのが適応地形という考え方だ。
 山には大小、様々な頂点がある。そして、そういう中で、それぞれの生き物は、各々の頂点を目指していく。

 人間の幸福も、様々な形で幸福の山を登っていき、その為の条件は、複雑に絡み合う関数となるはずだ。
 お金だけでは幸せになれないが、全くのゼロでは山に登れない。国の中がギクシャクしていては、安定した家族を築けないが、社会が放埓的過ぎれば、家族の紐帯が保てない。科学技術が全て幸福につながる訳ではないが、公衆衛生や医療の充実がなければ、沢山の子供が死んでしまう。
 家族に囲まれ貧しくも幸福な生活をする人は、それはそれで一つの頂点であるし、物質に囲まれつつ、愉快な仲間と楽しくやっていればいいという頂点もあるだろう。これは、どれがいいのだという事を独善的に決めつける事は出来ない。


 さて、ここからが写真ブログネタである。
 びっくりした事だが、未だに画素数信仰を持っているおバカさんがいるという事に吃驚した。
 いや、画素数云々と言う話題で、他人を見下したいと言うなら、最高級のデジタルバックでも手元に用意しておいて欲しいものだが、このような手合いは、どういう訳か、フルサイズ一眼レフで大満足している。己の知識の範囲で、最大のものを手にしていたいという願望だけで生きているのだろう。
 画素数信仰の愚かさに関しては、様々なサイトで百万回ぐらい書かれているだろうから、わざわざ僕が取りまとめる必要もないだろう。

 何にしても、「よいカメラ」には様々なタイプの頂点がある。
 ハッセルブラッドもライカもよいカメラだが、どちらが(カメラ全体の中で)最高であるだなどと言ったら、嘲笑され、その程度の人として余生を過ごすことになるだろう。
 僕がD810を手にしたのは、画素数が良かったからではない。自分が使うとき、様々なスペックを見比べ、触り比べ、ちょうど良いものを検討した結果として、あのカメラがあっただけの事なのだ。だから、そこに拘る理由もないし、悪いところを上げられたら、それもそれで仕方ないことだと諦めるだけだ。


 人は、自分が選び取った「最高」の評価を維持したがる。自分が間違いを犯したと思いたくないからだ。
 そして、自分自身の選び取った基準に自信がなくなると、他の基準で上手くやっている人に嫉妬心を抱くものだ。
 その他の基準の存在を認めたくないあまり、他の(出鱈目な)特性を持ち出し、或は嘘や思い付きで、決めつけたりして、他の人を貶めようとする。
 しかし、幸福なんてものは、各々が各々に対して独立した存在であるわけだから、見かけ、相手が不幸に見えるように努力したところで、自分の幸福の量が増えるという事は、絶対にありえない。

 僕は、他の人が言うように、幸福な人間でも有能な人間でもない。
 収入に関しても、交友関係にしても、障害の事にしても、人に自慢できるものはない。
 だからと言って、それが他の人が幸福であるとか、有能であるとか、価値があるだとかいう事を証明もしなければ、補強もしない。

 自分が、今、何かを問われ、それに対して明確な答えがないとしよう。その時、他の何かを使って、人を負かそうだなんて考える瞬間があれば、それは実に不幸なことだ。
 重要なのは現実だ。
 貴方の頭の中で、誰彼は俺より無能だとか、不幸だとか、役にただないのだと思い込み、それを人にも共感してほしいだなんて考えたところで、それは全て、仮想上の幸福だ。
 勿論、そのような、自分の中に閉じこもった幸福も、また、一つの幸福でもあるのだけれど。


 これは、もう、紀元前から言われることだ。
 人は時として、自分自身が幸福になることよりも、人から幸福だと思われることに血筋を上げる。
 何故なら、自分自身で幸福の事を考えられない人は、他人にその評価を任せるしかないからだ。
 審美眼がなければ、自分の目で見て絵画を鑑賞することはなく、自尊心がなければ、他人と比較して、自身を維持するしかなくなる。

 貧しさとは何かといえば、「ちょっといいものを食べようとした時、いつも行く牛丼屋のメニューの中で、高いものを選ぶ事」と言うことだ。
 同じ金額なら、別の店に行く事も出来ると言うのに、そういった選択肢が、自由度がその人の中にない事を指す。

 様々な選択肢の中で、自分の幸福を自由に見つけ出す。
 沢山の芸術作品の中から、(他人が何と言おうと)自分の心に訴えかける作品を見つける。
 深い深い自尊心を持てば、己の生きにくさに対して、己の中から、自信を無限に汲み出せる。

 人生の目的云々なんて分からない。分からないからこそ自分で考える必要があり、自分で自分を見つめる事を放棄した人が、人生の目的を手に入れられるはずがない。
 自分の頭で考え、自分の力で選び取ったものならば、その目的に対して迷うところがない。
 逆に言えば、人の選択、人の生き様、人の幸福、人の美意識――そうしたものを尊重出来ない人間は、自身のそうした価値観に自信がない証拠である。

 他人によって、飾り立てられた言葉に魅入られ、出所不明の、それらしい言葉で理解したつもりになり、拾いものの、刺激的な言葉に踊らされる。
 他を馬鹿にしないと成立しないものなら、幸福も、審美眼も、自尊心も、全て偽物だ。
 そんなものが、本当の人生だろうか?

2014年10月9日木曜日

コンデジ三脚と雲台

 セリアやダイソーなんかで売っているコンデジ用三脚のお話し。
 前にも書いたけど、進展があったので、おさらいも兼ねて……

 大体、百均で手に入る三脚と言ったら三種類。

送信者 他いろいろ
一段伸縮のある三脚。伸ばすと高さは19cmぐらい。
 雲台は案外しっかりしているが、足の作りがいい加減すぎるし、不安定。


 こちらは二段伸縮で、高さは13cmぐらい。折りたたむと、何となく平らになる。
 幅広く広がるので、安定性は高いが、雲台がぐらぐらしているので、構図をバッチリ決めるのは難しそう。


 こちらはどうやって立てるかによりけりだけど、10cm前後の高さになる。
 フレキシブル三脚の類だけど、足のコシが強くて、思ったほど曲がらない。
 しかし、上二つに比べて一番安定性が高い。コンデジを持っているなら買いである。

 なお、これらの三脚、SLIKやらHAKUBAやらKenkoだののパッケージに入ると、数百円から千数百円になるから不思議!
 まぁ、商売なんてそんなもんです。



 さて、ここからが本題。



 一番最初の三脚、雲台がネジ止めされていて、簡単に分解出来てしまいます。
 この雲台、結構しっかりした作りなので、このまま何かに使えそうじゃない? って所までが前回のお話し。



 で、この取り除いた溝の部分に、1/4インチのネジを接着しまして、空いた部分をグルーガンで充填します。



 すると、こんな感じで使えるようになります。
 横方向固定だったフレキシブル三脚の自由度が広がりますね!
 あと、ゴリラポッド(とそのコピー品)などのフレキシブル三脚も、雲台的なモノが付いていないものが多いので、この方法は使えそうです。

※なお、自作とその使用は自己責任でお願いします。

2014年10月8日水曜日

皆既月蝕

 まぁ、コレが限界です……

 理由は色々あって、私のショボイ三脚では、風で揺れまくるから、1.6秒以上露出するとブレまくる。ってことで、ISO感度をガンガンに上げて撮影するしかなかった。
 また、皆既月蝕になってしまうと、液晶の明るさをMaxにしても、月を見つけるのがやっとで、ピントなんて合わせられやしない。
 と言う事情からこんな感じになってしまいました。

 機材は、D810にミラー800、ジャンク品の二倍テレコンと言う風なので、豪華な装備じゃないと、皆既月蝕はとても撮れないのね……と言うのが分かった次第。

 一応、最後の一枚撮ったところで、雲が出てきたので終了。仕方ないね。

送信者 他いろい

送信者 他いろいろ

2014年10月7日火曜日

トリミングの話

 前にも書いた気がするけど(何度も


 「デジカメinfoのコメント」、「価格コムの掲示板」、「デジカメWatchのアンケート」は、日本カメラヲタ界隈の闇だと思っているわけですが、定期的にこういうネタを見せつけられると、ブログネタに困らなくて大変良いですね(

 トリミングは邪道という人が、クッソ下手くそな写真を載っけてドヤ顔している光景に度々出くわすので、この話はヤメヤメ、なかった事にしよう。




 以下、真面目に。

 ズームレンズと同じで、学ぶ姿勢があるかどうかじゃないのかな? と。
 確かに、トリミングすればいいやって感じで撮ってたら、上達しないのは確かかも知れませんが、後から見返して、こういう構図にすればいいのかと考えるようになれば、多分、そちらの方が上達するでしょう。
 少なくとも、構図もクソもないような写真を、「無加工でこんだけ撮りました」みたいな顔しているより上達するのは間違いありません。

 ぶっちゃけ、解像感が損なわれない限り、トリミングしたかどうかなんて、誰にも分かりっこないし、分かったところで評価を変えるような人は、作品そのものを評価する審美眼がないから、そう言う付帯的な情報を頼っているわけですからね。


 尤も、「サンラザール駅裏」のトリミング話をドヤ顔でされるのも、いい加減アレですけど……
 あのトリミングは、手前に柵があって、それを回避出来なかったから、トリミング前提で構図を決めたんですよね。
 だから、我々がアレを見習うとするなら、予めトリミングするイメージを持って、仕方なしに撮るようにしようと言う事なんですよ。


 まぁ、何にしても、そんなに硬く考える事なんてないさ。
 所詮写真なんて、カメラ内部のコンピュータが絵を作ってるんだし、多少手を加えたところで、"純度"なんてものは変わらないのだから。

 写真は邪道と言われ、AEはいい加減と言われ、AFは手抜きと言われ、顔認識は素人だと笑われる。
 でも、今や、そんなものはずっと馴染んで、みんなみんな使っている。
 写真に邪道も王道もないだろう。自分の力について云々言うのなら、ニエプス以前の世界に戻れよ。

2014年10月3日金曜日

中華製謎ストロボを買うとかどういう神経だよ(

 冗談半分に聞いて下さいませ。

 大須のアメ横ビルに行くと、サードパティ製のカメラグッズが置いてある店があるんですよ。CPLフィルターとか超安いの。
 そこで否でも応でも目に付くのが、Meike MK 910なんてストロボ。
 家に帰って、調べると、何処までもニコンのSB-910のパクリ。
 おいおい、こりゃぁなぁ。

 なお、キヤノン用はしっかりと、600EX-RTをパクって、MK 600なんてのがあったりする。
 お値段は、共に19800円とお安い。(Amazonで買うと、SB-910は四万チョイ、600EX-RTは五万弱だ)
 驚くのはまぁいいとして、確かに安いっちゃぁ安い。食い付きたくなる気持ちも分からないではないのだけど……色んな意味であかんのやないか?
(勇気があって、罪悪感のない人はどうぞ)


 ってお話しは、大分前から分かっていたのだけど、ネタにする程じゃないなぁって思っていたんです。
 で、特に意味もなくAmazonのストロボコーナーを覗いたら、「Yongnuo製 Speedlight YN560 III」が、人気度ナンバーワン、ベストセラー1位になってるんですよ。

 いや、気持ちは分からないでもないんですよ。
 七千円台で、G.N.58(ISO100、105mm)なんて、なかなかないものですからね……

 TTLもワイヤレス発光も付いてない、ド直球の製品ですが、オプションのラジオスレーブ(三千円ほど)を付ければ、ワイヤレスライティング出来るので、多灯ライティングの沼に填まっている人には、悪くない選択肢かも?


 サードパティ製のクリップオンストロボと言えば、NissinやMetz、サンパックにシグマと言ったところが出てきますが、言う程メーカー製より安い訳じゃないんですよね。(所々、サイズ的に良いとか、同クラスでも使い勝手がいいとかあるのですけど)
 それに対して、こういうストロボは、傷も少なくて済むし、なんやかんやで装備が増えるのは楽しいモノだ。
 Amazonで探ってみるだけでも、様々なストロボがザクザク出てくるので、結構面白いが、こんなものを見せつけられると、無駄にストロボが増えてしまう。

 多灯ライティングっつったって、持ち運びすぎるって訳にも行かないですからね。