2019年10月23日水曜日

024~カメラと写真のこれからのこと



補足になるのですが、当世に於いても、ストーリーのないむき出しの写真というものは、素材として消費されるばかりで、写真の鑑賞となりますと、その撮影手段や意図やそこに至る情報が含まれた場合が専らです。
今後もそのようになって行くと考えられますし、その限りに於いては、技術的側面は重要ではなくなります。なのでマニュアルで露出を決める事などは、写真の本質ではなくなり得るでしょう。
そうなった時でも、カメラを操作する楽しさや。芸術性や実用性を抜きに、撮りたいものを撮る営みも残ると考えます。そのような、長期的に見て変わらない事を、一つずつ積み重ねる事に、意味を見出しているのです。
勿論、インスタレーションとしての写真や、意図を鑑賞者に委ねるタイプの写真、そもそも写真を撮らない写真の提示など、様々な表現方法が考えられますが、それはアートとしての問題なので、こちらでは深く触れません。
また、技術によって新たな表現が出てくる余地は、無限にあるわけですし、その時に、最新のカメラが必要になることもあるでしょう。ただ、それは鉄鋼技術によりピアノの音域が広がったのと同じことですね。
ピアノが人間の全可聴域をカバーできるようになったあとでも、チェンバロはなくなった訳ではありませんし、音楽を楽しむ人間の欲動そのものは変わりません。重要なことは、その普遍の部分が写真にもありえるのだと言うことです。