2013年1月26日土曜日

インスタントカメラとレンズ付きフィルム

 通称使い捨てカメラの事を、インスタントカメラと呼ぶ人が実に多い。

 フィルムの交換が出来ないフィルムカメラの事を、レンズ付きフィルムと言う。
 インスタントカメラは、ポラロイドやチェキなどの撮ってすぐに現像できる方式のカメラの事だ。

 で、使い捨てカメラが今、どんだけのメーカーから出てるかなぁと思ったら、二社しかない!


・コダック
http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/consumer/snapkids/index.shtml
フラッシュ800
15m防水

・富士フイルム
http://fujifilm.jp/personal/filmandcamera/utsurundesu/index.html
写ルンです1600 Hi-Speed
水に強い写ルンです New Waterproof
写ルンです シンプルエース
写ルンです 400エクストラ

 いや、普通のフィルムも先細りの中、この二社が頑張って出しているだけでも御の字ですよ。
 多分、使う事ないけどね(ん


 インスタントフィルムも、IMPOSSIBLE(http://the-impossible-project.com/)か、富士フイルムのチェキ(http://fujifilm.jp/personal/filmandcamera/film/instant/index.html)しかないからなぁ。
 中古カメラは相当量流通しているし、HOLGAやLomo LC-A+をインスタントカメラ化するキットも売っているから、撮影そのものは苦労しないと思うけど……
 一応、デジタルインスタントカメラ(=プリンタ付きデジカメ)として、ポラロイドからZ2300とかZ340とか出てるけど、まぁ、何というかだねぇ。

 撮ってすぐ、プリントできるのは楽しそうだけど、そういうのは、パーティとかで、周囲に友達がいて……って状況で初めて活躍するものだからなぁ。とか考えると、もの凄く気分が落ち込むので、考えない事にした。
 チェキ安いよチェキ……とか思ったけれど、暗くて固定焦点で……って考えると、写真そのものの楽しさはどーだろうなぁ。
 SX-70を持つのは、もはやファッションだしなぁとか色々考えてしまう。


 いやいや、プリントを手に入れるなら、モバイルプリンタ(ポータブルプリンタ)でいいんじゃない? ってんで、探してみたけど、今やそう言うプリンタってビジネスライクの高級品を除いて、よく聞くメーカーからのラインナップってないのね。
 あっても、年賀状作成用ぐらいで……

 この前、雑貨屋さんで富士フイルムのPivi MP-70が三千円でたたき売りされていた。アレって、IrDA(赤外線通信)が使えないと全く役に立たない。
 PictBridgeをIrDAに変換する「IR-100」なんて装置に魅力を感じた時期があったけど、今はiPhoneなんで全く興味ないさね。

 次に登場するモバイルプリンタと言えば、ポラロイドのPoGoシリーズやGL10-Jなんだけど、これも最近見かけないねぇ。
 いやまぁ、デジタルプリント出来る装置なんざぁ、何処にでもありますからなぁ。プリントを求めなくなった訳ではないが、「いま、ここ」と言う需要はあんましないのかもね。

 とは言え、現況と比較して、ポラロイドにしても(女子高生がよく使っていた)使い捨てカメラにせよ、「共有」って言う視点は一つもぶれちゃぁいないんだな。
 それが、広く、早く、お手軽に出来るようになった事は、社会的にはいい事だし、実際、世の中には写真の上手い人間が大勢いるって事を知ることになる訳なんだし(ん

 こう言う視点から捉える、「写真そのもの」って言うのは、もはや内容の問題じゃなくて、存立の問題なんだよね。
 「写ったモノ」じゃなくて、「写すコト」が、本質に近い意味になる。
 考えてみよう。そうした写真が、数年後、鑑賞に堪えるほどの内容を持っているだろうか?
 勿論、それは否定的な意味ではない。
 常に消費され、押し流されて行く写真――一つ一つは意味があるはずなのに、遠くから眺めれば、随分多くの写真が、FacebookやらInstagram、或いはFlickerやらのサーバの中で死蔵することになる――プリントされない、家から外に出ない、数多くのフィルム写真と同じように。
 そうした、あるのかないのか分からない写真というのは、多くの歴史や情報を含んでいる筈なんだ。

 人はみんな死ぬ。運命の時が来れば。
 その時まで、人間は多くを見て、感じ、記憶する。そうして構築された己の世界というのは、他の何者にも完璧な形で手渡す事が出来ない。
 出来ては崩れ、そして、またゼロから作り出されていく。
 そうした知識構造の漸進化と言うのは、半ば、写真にも存在するのではないか?
 撮影した瞬間に切り捨てられた情報が、例えばその次の瞬間であるとか、カメラの背後での出来事とか、そうした選択された情報が、海底のマリンスノーの如く、サーバの底に層を成す。
 人間も――文化や知識と言うのも、似たような構造なのではないかと。