2013年1月16日水曜日

写真さえ撮らない

 誰が最初か知らないが、写真はカメラを持たなくてもなんとでもなる。
 私があれこれ言うのもナンなので、リンクばかりずらずらと並べます。

Joachim Schmidtを知っていますか?(前編)Do you know Joachim Schmidt?
http://betweenthebooks.com/wordpress/2012/07/16/do-you-know-joachim-shimidt/

Joachim Schmidtを知っていますか?(後編)Do you know Joachim Schmidt?
http://betweenthebooks.com/wordpress/2012/07/20/do-you-know-joachim-schmidt/


カメラを使わない作品 第1回 ファウンド・フォト
http://betweenthebooks.com/wordpress/2012/08/16/without-camera-found-photo/

カメラを使わない作品 第2回 ファウンド・フォト(2)
http://betweenthebooks.com/wordpress/2012/09/12/without-camera-found-photo-2/

カメラを使わない作品 第3回 ファウンド・フォト(3) Works without Camera #3 Found Photography 3
http://betweenthebooks.com/wordpress/2012/10/12/works-without-camera-3/

カメラを使わない作品 第4回 ケッセルスクライマーの仕事(前編)
http://betweenthebooks.com/wordpress/2012/11/26/works-without-camera-4/



別の場所で撮影される『ブラインド・カメラ』
http://wired.jp/2010/04/21/%E5%88%A5%E3%81%AE%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%81%A7%E6%92%AE%E5%BD%B1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%80%8F/

 他に、トーマス・ルフの「jpeg」シリーズなんてのもあります。

 極端な事を言うと、その写真が決定的であるとか、突き刺すものを持っているとかは、写真家としての能力の外側で発生している。
 偶然カメラに写った決定的瞬間は、それを意図しなかったからと言って、人に与える影響が変化すると言う事はないように。

 撮影者の情報を全くブラインドにした状態で、その写真に引き込まれるような事があれば、それはやっぱり「本物」なんだ。
 例えば、不出来な料理でも、その不出来さ故に、人の記憶や想いを想起させられるのであれば、それはよい料理と言える。

 写真は、撮影者が何を意図したか、と言う事そのものは特に意味がない。その意図を写真に込め、それがそれを受け取った人間にどのような影響を与えるか? に掛かっている。
 いわば、作意は自分が作品を作り続けるために必要な機械であって、素材ではないだろう。