2013年11月29日金曜日

CASIO EXILIM EX-10

未来はそこにある。 シャッターを押せば、 そこに映っている。(WIRED)

 この前書いた話の続きになりそうだ。

 ぶっちゃけ、Nみてぇなカメラだなと(コラ
 尤も、このサンプルを見て、猛烈に欲しいとか感じない訳だけど、「写真の進むべき一つの方向」だよね。

 写真趣味のデストピアって、カメラ趣味だけが生き残り、人の評価を気にして、写真なんて一枚も残さない世界でしょ?
 こうなってくると、もう、誰も自分の基準で写真を見ることも出来なくなる。

 写真にとって大切なことは、それを見た時に何を感じるかだ。それは、当然、自分の写真に対する自分の意識も含めてのこと。
 自分の思い通りにカメラをコントロールできることは大切だし、己の感性に対して正直に写真を撮れるって言うのは大切かも知れない。
 けれど、その時、多くの人が希望する「きれいに、あざやかに、はっきりと」した写真ばかりが大切だと思い込む道を歩む事にはならないだろうか?
 いや、別にそれでもいいのだろうけど、「多数派こそが正義」と言う価値観は、せいぜい政治の中だけにして欲しいものだ。

 それが多数派である限り、自分は本当にそれを美しいと思っているのかを再検証しなくてはならない。人がそうだと言うから、自分にそのように思わせているのかも知れないと。
(同時に、少数派だから格好いいと言う感性も疑わなくてはならないが)

 いずれにしても、自身をより知る為には、自身の観念を破壊してしまわなければならない。
 己の美意識の限界ってものを、積極的に破壊しなくちゃいけない。

 色んな写真や美術品を鑑賞するのもそうだし、写真そのものに対する洞察も必要だ。
 そして、写真のもう一つの魅力として、己の意識しなかった意外性という部分も追加されるだろう。

 ここで僕は、偶然に任せた写真というものが嫌いだと言う事を告白しなくてはならない。
 どうしても、再現性を求めたくなる。
 しかし、それでよいのだろうか?

 僕は、偶然の何を嫌っているのだろうか?

 偶然現れた被写体を撮影して、それを我が物として自慢するのが気に入らないのだろうか?
 しかし、例えば、珍しい動物を探す為に、ジャングルに分け入って、何ヶ月も張り込んで……そして、偶然をたぐり寄せて撮影した写真を、「運が良いだけだ」と言う一言で済ませる事は出来ない。
 人は、「そうした場合と、偶然変なモノを見かけて、iPhoneで撮って沢山の"いいね"を貰うのを同列に並べるのが間違いだ」と言うだろう。
 そう、それはその写真の為に、どれほど努力したかと言う要素が加わるから。

 では、苦労したことが、何か意味を持つことなのだろうか?
 苦労した駄作を、我々は「それは素晴らしいね」などと喜べるだろうか?
 ジジイの写真に対する苦労話は、一時間一万円ぐらい貰わないと、とても聞く気にならないし、そんな事に我々は何も感動しない。
 「感動は、人並み以上の苦労があった場合だ」などと言う反論も出るだろうが、では「人並みの苦労」って何だろう? と言うお話になってしまって、これには出口がない。

 極端な話、大型猛禽類の写真を見た時、同じ場所で何時間も粘った写真なのか、それとも、爆竹か何かで脅かされて飛び出した所を捉えた写真なのか、それだけでは区別は付かない。
 確かに、後々、現場を知る人間の密告で、それが発覚すれば、写真の評価は下がるだろう。
 しかし、そんな事で価値の左右される写真に、何の意味があるだろう?
 昨日まで素晴らしいと言っていた写真が、その撮影者を嫌いになった程度のことで、駄作だ何だと騒ぎ立てるような写真が何の意味を持つだろう?


 我々は、写真に関して、その部分を究極として考えなければならない。
 逆を言えば、その部分を見つける方法が見つかれば、それはどのような形態であってもよいのではないか?
 そこに、キヤノンのNやカシオのEX-10は、機械的にそれを押し付けると言う方法で、答えている。
 他の手段としては、ノーファインダーであったり、センサーカメラであったり、はたまた"拾った写真"を再利用する事だったりする。
 写真は、己の美意識の範囲で作っていては、せいぜいそこまでなのだ。
 我々は、我々の写真を通して、写真を発見しなくてはならないのだ。

2013年11月28日木曜日

紅葉

 何かこう、普通に撮ってしまってはいけないなと思う所がある。
 別に自身が楽しければそれでもいいんだし、人と違うと言う事だけに存在価値を見つけるなら、それは実に笑い飛ばしてやるべきなのだけど。

送信者 名城公園





 いいのか悪いのか、写真を被写体としてではなく、構造として見るクセが付いてしまっている。

2013年11月27日水曜日

あいち戦国姫隊

 今は毎週水曜日に、名古屋城に登場するって事で、ちょっとだけ撮ってみた。

 写真を撮る人にとっては、やっぱりこういう環境はナシだなと思った。
 視線を自由に得られる訳でもないし、光のコントロールだって出来ない、人垣が邪魔で、思うようなフレームワークが出来ない。
 こう言う事を、じゃぁ、ここで実現しようとすれば、非常に我が儘な事を言うことになるから、その辺を妥協して撮影することになる。その辺の妥協で、いい写真になるのかというと、それは違うなと。
 いやまぁ、記録としては写ればいいのだけど、撮って気持ちいいかと言われればナシだなと。
 この辺は、コスプレの囲み撮影と同じだ。

 んでもって、今回は具体的にどんな不満かというと、撮影時間が12時過ぎぐらい。って事で、冬とはいえ光線は高い高度からやって来る。
 当然、顔に影が差す訳で、目にくまのような影が出る(他にほうれい線や鼻の下辺りの影も出てきてみっともない)。
 強力なストロボでも焚けばいいかなぁとも思うけど、こういう所で、そんな事やっちゃう?

送信者 名城公園



 って事で、二枚目の写真は、見事にそう言う影が出ている。他の写真はもっと酷かった。
 まぁ、私の腕の問題だと言えば、それまでなんだけどねぇ。

 自己紹介と雑談で十分強という所か。その後、三十分ぐらい掛けてサイン会、最後にちょこっと集合写真という感じ。
 サイン会に集まったのは二十人強ぐらいか。殆ど固定ファンだろう。
 演舞を別の時間にやるのだけど、並んでレンズを向けるって行為には相変わらず疑問を感じるのでパスした。



 別にアイドルファンはダメだと言うつもりではないが、僕には無理だなと思った。
 こういう交流の時間がファンにとって楽しい時間に違いないのだろうけれど、僕はその部分にこそ不快感を感じる。

 ここで僕が何をどうアピールした所で、彼女たちにとって格別の存在(と言っても友達と思う程度の意味)にはなりはしない。確かに、足繁く通えば顔を覚えてくれるだろうし、名乗ればそれだって憶えてくれるだろう。幾らか言葉を交わせば、それに応じた受け答えをしてくれると期待できる。
 しかし、そこにそれ以上の意味はあるだろうか?

 僕が今、何か突発的な事件により命を落としたとする。その時、通夜や葬式に来る人は何人いるだろう?
 僕の場合、せいぜい親戚が幾人か集まる程度だろう。そして、それは親戚だからと言う理由以外の理由を持たない。そこで、彼らが僕のことに関して何を語るのだろう。
 特別な存在とは、詰まる所、葬式にて故人を偲ぶ程の思い出がある存在と言う事だ。

 我々が往年の歌姫の死や、偉大な俳優の死を前にして、その思い出を語ることは幾らでも出来る。しかし、彼らが我々を語ることは決してない。
 ローカルアイドルや地下アイドルの類にしても、その関係はほぼ変わらない。
 ファンであると言う事は、その状態で満足することである。これに異論がある方は、間違いなくアイドル依存症である。精神科への通院を強くお勧めする。

 自分が特別でないと言う事でも、なお満足するというポリシーは、決して恥ずかしいことではない。
 むしろ、普通はそういう風にして、現実と折り合いを付けるものだ。
 だから、もう一度言うけれど、僕はアイドルファンを否定しない。
 "自分はそうならない"と言うだけの理由で相手を否定する人間は、どんな人間だろうと、実際愚劣だから。


 僕の精神は、"何処まで行っても孤独だ"と言う事に、未だに諦めきれない所があるようだ。
 それ故に、その可能性から遠ざかるような事に対して、拒絶するところがあるのだろう。
 こういうアイドルを見て、僕自身が僕自身に「これはない」と語りかけるのは、そんな事情である。

2013年11月25日月曜日

ネオクラシックデザインとかNとかS02とか

 オリンパスのOM-DやらフジのXシリーズやらのお陰で、どうにもこうにもこういうタイプのカメラが流行っているようですね。
 ニコンからもDfなんてカメラなんか出てきちゃって、もう、意味が分かんない。
 こういうのはデジタル世代の悪趣味かと思っていたら、“チェキ”instax mini 90 ネオクラシックなんてものも出てくる始末。

 別にいいんだよ。どんなデザインでも、流行ってものがあるし、何だかんだで、あのデザインが一番機能的なんだってのもあるだろう。
 でもなぁ。もうちょっと、挑戦的なデザインでもいいんじゃないのかなぁ。

 と言っても、その手の挑戦はデジカメ登場時に散々試されて消えていった訳だが……
 いやしかし! 昔のカメラを調べてみると、今よりもずっと前衛的で奇抜なコンセプトのカメラが沢山あった訳だから、もっと挑戦して欲しいかなぁと。(と、言うより、110やディスクカメラのノウハウは確実にコンデジ開発に生かされたはず)


 なんて書いたけど、売れるものって、良いものが売れる訳じゃないからなぁ。
 メーカー側も、その辺分かっていて、変なことやらないだけなんだなと。

 高級機で変なことが出来ないとなると、主力ではないコンデジやトイデジで小規模に挑戦するしかないんだけど、そもそもコンデジがこんなに酷い状況になると、そう言う商売が更に難しくなる。
 せいぜいトイデジだけだなぁ。


 と、嘆くのは、単にカメラオタクな所為だろう。別に、探せば他にもあるだろ! と。

 ソニーのQX10/100が出てきた時、散々こき下ろしたからなぁ。
 いや、僕は、それでも評価するのはあるよ!
 キヤノンのPowerShot Nなんかは、新しい遊び方を提供する凄いカメラだと思う。

 QXがダメでNが凄いってどういう神経だ? とか言われそうだけど、アレは一遍キヤノンプラザで触ってみてから言ってみた方が良い。
 もう、自動的に意外性を誘導してくれる。写真本来の楽しさを再教育してくれるカメラだ。

 一方、QXは、「スマホのカメラで撮るより綺麗な写真が撮れますよ。そして、それをスマホに流し込みますよ」ってだけの価値しかない。
 スマホより綺麗に? コンデジを捨ててスマホに行った人達は、画質に対する希望を強く持っていないのに?


 ユーザーはカメラに何を求めるだろう?

①手軽さ
②写真の共有
③画質
④ステータス
⑤写真行為そのもの

 ①や②はスマホで十分だ。③や④は高級コンデジやレンズ交換式のカメラとなる。
 じゃぁ、⑤は?

 結局、今のカメラメーカーに足りないのは、写真行為そのものをどのようにして楽しむのか? と言う提案である。
 確かに、メーカーは写真に対する啓蒙活動を行っている。しかし、それは今ある価値の延長でしかない。
 新たな遊び方を提案しなければ、老人の趣味に墜ちてしまうのではないか?

 その部分で言えば、Nは意外性という答えを用意してくれた。人間の美的感覚をビンビン刺激してくれる。


 では、それ以外で何か遊べそうなのは何か?
 ポラロイドやクラシックカメラは、「自分たちがその世代でなかった」と言う新鮮さに牽引されている。
 これは、酷い言い方かも知れないが、ファッション感覚である。(勿論、そのファッションこそ重要なのだが)
 だが、それに慣れてしまうと、次々に新手新手を探すようになってしまう。これでは、新しい遊び方の想像ではない。車輪の再発明だ。



 僕の中で、ポテンシャルが高そうで、しかし残念な結果に終わったのはニコンのCOOLPIX S01/S02である。
 ニッコールレンズの光学三倍ズームは悪くない。掌に入るカメラのクセにトイデジを圧倒する画質の筈だ。
 しかし、機能としてはどうなのだろう? 秀でた機能は何一つないのだ。
 QXのような使い方をするなら、Wi-Fiぐらい搭載すべきじゃないのか? メモリーカードの交換が出来ないので、カメラ屋の印刷機も使えない。PCがない人は、一気に積むカメラだ。
 では、スマホなんて無関係に好きなように写真が撮れるだろうか?
 否だ! せいぜいちっちゃいコンデジである。コンデジと比較すれば、むしろ見劣りするぐらいの性能だ。
 折角のタッチパネルも、写真の好きなような加工の為に扱えるものではないのだから、何の為にそれを採用したのかも分からない。


改善案① Androidを入れる(当然、Wi-Fi&Bluetoothも)
 他の落ち目のコンデジなんかより、こっちの方が余程入れる価値のある。
 希望としては、スマホを介さずに編集した写真をTwitter等に投稿出来る機能である。勿論、それだけならAndroidじゃなくてもいいけど、サードパーティーから面白い提案を受け容れられるようにするのは決して悪くない。Dropboxを使って動的な処理も出来るだろう。また、仕様を公開すれば純正じゃないカメラアプリが意外な仕事をしてくれるかもしれない。

改善案② もっとソリッドなデザインを
 いやぁ、あれも悪くないんだけど、掌に収まる何かって、握りしめても安心できる感じの方がうれしいんじゃないかな?
 もっと角張ったデザインでも悪くないと思うんだよ。アルミブロック削り出しみたいなのとか。

改善案③ もっと操作性を
 フルオートでやらせろとまで言わないけど、その辺の拘りは欲しいかなぁ。
 人間は、全自動を望む一方、自分で何でも決めたい欲望も存在するのだ。
 それを実現するには、やっぱりタッチパネルの性能を上げるとかあってもいいんじゃないかなぁ。

改善案④ もっと拡張性を
 人は何かとオプションに弱い。そして、自分だけの一台にしたいはずだ。

 勿論、こういう雑多な道具は携行性を見事に損なわせる。しかし、どうだろう? 数百ミリグラム単位で軽量化したケイタイに、女子は何倍の重さのストラップをぶら下げていただろう?
 スマートな外観のiPhoneにどれほど嵩高いケースを載せる人が居るだろう?

 だから、こういう"見た目重視"の道具は必要である。外装シールでもいいし、レンズフードだのグリップだのと言うあんまり意味のない撮影道具は、是非とも必要なのだ。
 マクロレンズやテレコン、ワイコンの類は、喜ぶ人も出てくるだろう。
 その他、面白そうなものは幾つか思いついたが、ヲタだけしか喜ばないのでやめた。
 また、Bluetoothなどでコントロールする際の仕様などは、オープンにすれば、面白い製品を作ってくれるスキマ産業が現れるのは確実だ。


 まぁ、こんな事書いても、しゃーないっちゃぁしゃーないんだけどね。
 でも、これからの写真業界の課題は、どうやって写真の楽しさに誘導するかが問題の筈だ。
 「カメラを一台でも多く売る」と言う問題ではない。写真を趣味とする人口をどのようにして増やすのか? と言う問題なのだ。

2013年11月14日木曜日

写真撮影技術11「ピンボケらしいもの」

 ボケた写真を見ると、馬鹿の一つ憶えみたいに「ピンボケだ」って言う人がいますが、ボケているように見えても、状況状況によって、内容が異なりますし、対処の方法も当然異なってきます。
 と、言う事で、今回はその辺を解説しました。

YouTube


ニコニコ動画

2013年11月13日水曜日

2013年11月12日火曜日

【ドール衣装】襦袢と袷

 一昨日の夕方思いついて、さっき完成しました。
 とは言え、ミスがちょこちょこあって、泣けるような状態なのですがorz
 形になってるからいいや!

送信者 ドール~室

2013年11月10日日曜日

貰ったフィギュア

 かなりの勢いでヤニだらけだったキュアピースをアルコールで拭きまくって、何とかこの状態に。
 しかし、それでも取り切れないなぁ。

送信者 他いろいろ



2013年11月8日金曜日

今建築中のビルが完成すると、多分見えなくなるので、その前に撮る

送信者 名古屋市西区その他

 ミラー800mmにサードパーティの中古テレコンを付けて、35mm換算2400mmにして撮影。
 距離はざっと、1.1~1.2kmぐらい。

 拡大するとボケボケですなぁ。
 それでも、ピントがかなりシビア。もう無茶苦茶ですがな。流石に、これで天体撮影したいって気分にはなりませんな。

2013年11月6日水曜日

素人だからこそRAWで撮ろう

 いやまぁ、JPEGで撮っててもいいんですけどね。
 RAWで撮らんでも済む人は、JPEGで撮った方が良い訳だし、その辺は自分の考え次第で……

 実際、画質で写真の価値が決まるだなんて考えるのはダサいしね。ただ、それは、ちゃんと画質の良い写真を撮った経験があって言える訳ですから、初心者や素人が"不良っぽい"事に憧れるのは、もう少し待ってからでもよいでしょう。


 大体、素人が趣味で撮ってるなら、少しでも遊びの出来るポイントは多い方が良いし、そのお陰で使える写真が増えた方が嬉しいしね。
 こういう話を言うと、甘えだ何だとお叱りを受けるかも知れないけど、別に報道カメラマン目指す訳じゃないんだし、いいんじゃないっすかねぇ。

 それ以上に、RAWで編集していると、写真が上手くなります。(多分)
 と、言うのも、案外、自分の写真をじっくり眺める機会ってないですよね。
 現像処理って言うのは、(バッチ処理でもしない限り)否でも応でもそれを見ることになります。
 そこで、問題点に気付き、更にそれを修正する事により、何をどうすれば写真が良くなるのか? を改めて考えることが出来るんです。

 と、言う事で、修正ポイントを色々考えて行きましょう。

 "作例"を出した方がいいんでしょうけど、「ウチの持ち出して本を出してもいいよ」と言われない限り、着手に数年かかりそうです。
 どうしても欲しい場合は、私のケツでも叩いてやって下さい……Mじゃないんで、文字通り受け取らないでね。


※始めに


 ツイッターなんかで「これからRAW現像しなくちゃ」とか言いつつ、WBも直さねぇ写真を上げている人とかたまにいます。何がしたいんですかね?

 現像処理には、バッチ処理というのがありまして、現像ソフトの自動修正をそのまま適用して全部JPEGに変換する方法があります。
 って、こんなの普通にカメラがそのまま出した写真と変わらないじゃん……

 言い訳は幾つか思い浮かぶけど、それでどうドヤ顔出来るのかよく分かりません。
 今回は、一枚一枚写真について考え、反省することが前提なので、バッチ処理は行いません。

 尤も、レンズ補正を全部の写真に適用させるとか、基本的に彩度を上げた写真から修正したいとか、そういう場合は、現像設定を全部にコピーしちゃっても大丈夫です。
 あと、タイムラプスの為に現像設定を統一する必要がある場合は、この限りではありません。
 何を目的として、何の為にそうするのか考えて、適宜楽をして、適宜手間を掛けましょう。


①傾きの修正


 傾かずに撮るのが一番なんですが、まぁ、細かいことは難しいですからね。
 水平出しの為の道具もあるし、最近のカメラはそういうのを教えてくれる機能もあるのですが……物理的に水平が出ているのと、写真的に水平なのはちょっと違うんですよね。

 例えば、前景に置いた柵が傾いている場合、人間の目は、この柵の方で水平を感知したりします。
 背景に垂直に立つ木なんかがあった場合、どちらを優先するかは難しいですが、この辺は、PCの画面などで見ないと確認しにくいものです。
 また、二種類撮ってみて、結局よかったのは、その二つの中間ぐらいの傾きって事もあります。

 また、水平や垂直に当たる線が沢山あり、そのどれもが揃っていない場合、視覚の重心となる線がどこに当たるかというのは、意外に撮影時には分からないものです。

 1度の傾きも随分印象を変えますから、この辺の修正は重要です。
 10度も20度も変わってくる場合は、自分の冷静さを疑う必要も出てきますが、微調整はこの辺で行っても恥ずかしくないでしょう。


②レンズ補正 / 歪み補正


 現像ソフトが修正データを持っている場合、適用させるのは便利かも知れません。
 具体的に何をやっているかというと、レンズによる歪みを補正します。

 ただ、修正しない方がいいって場合もあるので、チェックしたり外したりして、その違いを確認した方が良いですね。
 
 また、Lightroom5では、歪みを補正する機能として、Uprightなんてテクノロジーを用意していたりします。(持ってないので何も言えませんが)

 歪みとなると、撮影技術そのものでは到底カバーできないので、積極的に使っても良いでしょう。
 しかし、広角レンズのパースは表現手段として、有利な場合もあります。考えながら使いましょう。


③トリミング


 いわゆる切り抜きです。
 仕方ないよね。

 などと言うのはアレですが、トリミング前提で写真を撮る場合もあります。
 有名どころでは、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「サン・ラザール駅裏」なんかがそうですね。
 手前の柵越しに、トリミングする事を見越して撮ったそうです。

 そういう例を出してしまうのは言い訳臭いのでアレですが、構図もへったくりもない写真を「折角撮ったから」と言う理由で世に出してしまうぐらいなら、ちゃっちゃとトリミングしちゃいましょう。

 「センスねぇな」って言われるより「写真下手だね」って言われた方がマシだと思っています。
 下手なら美味くなるもん。

 まぁ、構図をワザと崩すってのが目的だったり、構図を気にしない写真を目指すと言うのが目的となるなら、トリミングも傾き修正もしない方が、"ストーリー"として成立する訳ですが、今回はそう言う話じゃないので、修正しちゃいます。

 また、アスペクト比(縦横比)も調整しちゃいます。
 まんまるなお皿に載った料理を真上から写した場合は、正方比(縦横が1対1)に修正した方がちょうど良いですからね。(そして、そう言う方針はなるべく、撮る時に決めておくことにしましょう)
 最近のカメラは、カメラの設定で変更出来ますが、RAWファイルにはトリミングされないデータが保存されるはずです。


④WB(ホワイトバランス)


 画面全体の色味を調整します。

 カラーキャリブレーションをやってどうの……なんてやらない限り、現像処理でやっつけてしまってOKです。
 カメラで修正しようと、PCで修正しようと、現実的に差はないからです。
 後に、彩度の設定に関しても話しますが、カメラ内のこの辺の設定は、JPEGに変換するのに使われるばかりです。
 RAWファイルは、生のデータですから、この辺の設定はせいぜい上乗せされる程度です。

 グレーカードを使って、WBを補正して……なんて事を現場でやっても良いのですが、光源の方向や撮影場所が変わる毎に光源の色なんて変わってくる訳ですから、そういうのが気になる人は、カラーメーターでも買った方が楽じゃないですかね?

 尤も、最近のカメラは優秀なので、AWB(オートホワイトバランス)だけで、がんがん的中します。
 普通は意識しなくてもいいですかね――という訳にも行かないので、調整しましょう。


 さて、補正の方法ですが、白或いはグレーの部分を抽出する方法が一番安定しています。
 大抵の現像ソフトで、スポイトのアイコンをしているのがソレです。
 ドールや着ぐるみ、或いは人間を撮影する場合は、白目の部分を拡大して、そこを基準点にすると、大体一発で決まります。
 それ以外に、白いブラウスや、コンクリの路面なんかでも行けるかも知れません。

 尤も、夕日が差しているとか、そんな環境なら、別にニュートラルな色に拘る必要はありませんよね。
 或いは、"日陰"や"曇り"の設定に変更した方が暖かみのある写真になるので、桜の撮影の時には、わざとそうしてやる手もあります。

 WBにうるさい人が居ますが、広告写真みたく色再現に対する要求が強くない限り、"真のWB"なんかに意味はありません。自分がいいように、その辺を調整すると、凡庸な写真でも突然ぐっと来る事もあります。
 一つのことに拘る余り、目的を失ってしまうのは本質ではありません。
 工夫次第で、様々なテイストに仕上げることが出来るのです!

 そこで出てくるのが手動で補正することです。
 この辺は、自分で色々いじって慣れるしかありませんけど……


 変更できるパラメーターは二つ。
 一つ目は、色温度です。
 スライドバーを、片方に寄せると青みがかった写真に、反対側に寄せると黄色みがかった状態になります。
 基本的に左側が青みがかった状態になりますが、全部のソフトがどうか知らないので、こんな書き方をします。

 二つ目は色かぶりです。
 これも、どのソフトも左側に寄せると、緑がかった写真になり、右側に寄せると赤みがかります。(ソフトによっては逆って可能性もありますが)

 赤って言うよりマゼンタだし、青って言うよりシアンですが、まぁ、細かいことはどうでもいいです。
 この二つを変更すると、様々な色調の写真を作れます。


⑤明るさ


 仕方ないよね。

 いやまぁ、露出1段階分ぐらいは普通にどうにでもなりますよ。
 外でモニター見た時や、ヒストグラム見ても正常な場合はどうしようもないよね。
 と……

 無修正でも行ける写真でも、シャドウを持ち上げたり、ハイライトを押さえたりすると、もっと磨かれた写真になることがあります。

 白飛び補正なんてのもあるので、救済措置には使えるかも。
 なんて便利な道具があると、どんな写真でも階調を目に見えるようにしなければならないって気持ちになったりしますね。
 影で暗くなった所を明るくしてみたり、明るすぎる所を押さえてみたり……
 でも、そう言う方向に集中しすぎると、全体的に平面な写真になってしまいますね。

 白飛び/黒つぶれ恐怖症みたいなのがあるようですが、「これらがあるからダメな写真だ」と騒ぎ立てるのは、所詮その程度の部分でしか写真を語れない連中です。
 影を意図的に真っ黒にしたり、ハイライトを敢えて飛ばしてしまう写真だってあります。
 重要なのは、何を表現するのか? であり、データの綺麗さを求めている訳ではないのですから。


⑥明瞭度 / シャープネス


 その名の通り、明瞭になり、シャープになります。
 前者はエッジを強調したりするんですかね。そんなもんです。
 シャープネスは、全体的にシャープにします。

 どちらも、ピンボケを補正することが出来るのですが……って最新のLightroomなんて手ぶれまで補正してくれます。
 何から何まで便利になりましたね。

 でも、本来は写真をブラシアップする為に使いたい機能ですね。


⑦ノイズ低減


 明るさを持ち上げたり、明瞭度やシャープネスを補正すると、ノイズが目立つようになります。
 そうじゃなくても、長時間露光やISO感度ガン上げすると、ノイズが目立ちますね。

 ノイズ低減は、ノイズをぼかして見えなくする機能なので、当然、解像感が悪化します。
 シャープネスを上げて、その上ノイズ低減をやるというのは……無意味ではないですが、何もやらない方がいい場面の方が多い気がします。


⑧彩度


 鮮やかな写真にすると、なんか、めっちゃ上手い写真に見えるよね!

 だから、画質が良い写真で喜んでいると、初心者臭く見えるんだって……と言う愚痴はやめましょう(ん

 Lightroomだと、「自然な彩度」と「彩度」の二つがありますね。
 他の現像ソフトでは、「自然な彩度」って名前が別の名前になっていますが、基本的にやる事は同じです。
 「自然な彩度」は、彩度の低い箇所を持ち上げて全体的な彩度を整える機能です。
 無印の「彩度」は、全体の彩度を一気に持ち上げる事になります。

 上げるばかりが良いばかりではなくて、むしろ一気に下げてしまってみると言うのも手です。
 まぁ、ゼロにするとモノクロになるのですが……この辺は別の項で。


 彩度をいじりますと、全体的な印象が変わってきまして、WBを補正する必要が出てきたりします。
 そして、WBが変更されると明るさが変わってきて……と同じような作業を繰り返すことになります。
 まぁ、迷宮入りですね。
 どこかでスパッと決めなくてはならないのですが。


⑨トーンカーブ


 実はですね、この辺りの設定を一つの箇所で修正できたりするんですよ!
 それが、トーンカーブ。
 RAWいじらなくても、PhotoshopElementsにJPEG放り込んで修正できる!

 と言うより、コレに関しては「トーンカーブいじりゃぁええんじゃね?」みたいな話が出てきます。
 それで行けるなら、それで行ってもいいんですけどね。

 トーンカーブは、いじりすぎるともう、何が何だか分からなくなって、迷宮に迷い込む可能性が高いです。
 いやまぁWBでも充分迷宮の中に這入り込む訳ですが、こっちの方は、踏ん切りが付かないと延々といじり倒して、最終的に、「何もしない方が良かった」ってオチが待ち構えるので、あんましオススメ出来ません。

 印刷屋さん曰く「素人が下手に触るより、何もいじらない写真を寄越せ」みたいな場合があるようです。
 と、言うのも、トーンカーブをいじると、元のデータから「いらんと判断した部分」がばっさり切り捨てられるからです。
 要するに、後で修正する余地がなくなるんです。

 RAWいじっている分にはいいんですけど、JPEGはどんどん情報が削られるので、色々と考え物なんですね。

 尤も、RAW現像でもトーンカーブいじれるんで、色々やって遊んでみて下さい。
 メタリックな写真とか、ファンキーな写真がいとも簡単に!

 そう、簡単に一気に調子が変わるんで、少しずついじっては元に戻して……なんて作業が難しくなります。
 そう言う意味でも、他の設定の方を優先した方が良さそうです。


⑩モノクロ


 RAW現像でも、JPEGのレタッチでも、要するに彩度を取り去るだけなんで簡単っちゃぁ、簡単なのですが……そう簡単な話でもないんです。

 どの辺の明るさを中心に持ってくるかと言う事や、コントラストの強さを何処に持ってくるかと言う事で、かなり奥の深い設定が必要になります。
 また、グレーとなる色合いを、シアンっぽく、緑かぶりっぽく……なんて変更してやるだけで、雰囲気が一気に変わってきたりします。


 モノクロにすると、途端に玄人っぽく感じるので、時々使っては楽しむって手もあるのですが、ソレを芸術的だなんて勘違いすると……怖いです。

 本気でモノクロで撮ろうとすると、カラーとは照明やカメラの設定を変えて撮らなくちゃいけないんですよね。
 具体的には、ポートレートが分かりやすいでしょう。モノクロは陰影を大切にするのに対して、カラーは顔から影を消すように照明を用意します。
 デジタル時代になって、色々と楽になりましたが、モノクロはやっぱり難しいです。

 うっかり撮った写真をモノクロにして、案外良かったから……と言う使い方は、遊び程度にしておいた方が良いでしょう。
 何故なら、それは現像処理を通じた経験ではなく、タダの運だからです。

 モノクロで行きたいと思うなら、(RAWを残すにしても)モノクロ出力設定のJPEG出力にして、その場でモノクロの絵を確認しながら撮影した方がよさそうです。


※最後に


 とは言え、救済策に甘えまくるのも、成長にならないので、何が悪かったのかを噛み締めるように修正する事にしましょう。

 あと、現像ソフトには、今回紹介した設定の数倍のパラメーターが用意されていますので……全部いじると、どうにもなりません(汗
 遊ぶのもほどほどに。

2013年11月3日日曜日

一眼レフ難民? やっちまってから始める写真講座⑤

15.我々は何を得れば納得できるのだろう?


 結論から言えば、そんなものが分かれば、今すぐ、その道に向かって、寄り道もせずに真っ直ぐ歩んでいる。
 こんなエントリーを書く暇などないし、また、諸君もこの拙文など読むに値しないだろう。

 目的がある人は幸福であるというのは、この点に於いても明確である。


 しかし、我々は――ここまでに指し示してきた、幾つかの満足できるポイントを、敢えて見逃した我々は、生半可なことで納得など出来ないだろう。

16.先ずは最低な水準


 賢明なる諸君は、卑怯な方法で撮影した写真を見て、「僕は正々堂々と間違った事をせずに撮ったのだから、それで満足だ」などという、小さな小さな自尊心を守るような人ではない。

 人として、撮影者として誤ったことをしないというのは、せいぜい、その写真に対して負い目を感じずに済むと言うだけである。
 それは人として正しいというだけで、当然あるべき水準に他ならない。
 そうではない様な人は……我々の手でどうにかすべき問題ではない。


 ただ、仲間内での"常識"に慣れてしまうと、その水準を見失ってしまう事も多い。

 何処かの学校の鉄道同好会が、顧問の先生ごと鉄道施設に侵入して騒ぎになった事件がニュースになった。
 これは、彼らの中では、それぐらいが許される水準だったのだ。

 だから、容易に群れてはならない。

 普段は喋らないようなオタクが、自分のジャンルに関しては、必要以上に喋るという事がある。
 これは、単に仲間と見定めると、孤独さから解放されて、浮き足立っているからだ。
 これと同じように、孤独であった人が、同じような人間と同じ場所にいると、視野が狭くなってしまう傾向にある。
 こういう時、人はよく失点を犯す。

 また、そのような状態は、孤独である状態に比べれば随分と気持ちの良いもののように錯覚するので、うっかりした事でさえ、実によく容認するようになる。
 そして、皆が皆で、その状態に置かれると、外部に対する失点を無視するようになるのだ。

 勿論、普段から群れ慣れている人は、前者のような愚かさを捨て去っているかも知れない。
 また、充分に経験を積めば、後者のような失敗から、身を遠ざける事も出来るかも知れない。
 君が、その点に於いて、実によく人と付き合い、また、多くの失敗を経験しているという時、何も恐れる心配はないだろう。
 しかし、こうした心配を抱かない人に限って、そのような経験を持ち合わせていないか、或いは経験から学習することを知らない人であったりするのだ。

 先の同好会の顧問は、学校の先生であり、年齢的にも成熟した大人であるはずだ。
 しかし、大人というのは、自己の確信を持って大人だと叫んでいるうちは、まだ危険な状態なのだ。

 何事も経験を積まなければ、そのような危険な状態から脱することは出来ないから、その危険に果敢に挑むと言う道もあるだろう。
 だからこそ、群れる事を甘く見てはいけないのだ。



 君が、大人であるにせよ、そうでないにせよ、最低な水準は、所詮最低な水準である。
 つまり、こんなものは、実にどうでもいい話であり、そんな水準で満足しているうちは、"最低"の近傍に貼り付いたままなのだ。
 撮り鉄を見て、「俺はあいつらよりマシだな」などと納得するなら、その人は、その位置から成長することは出来ない。

 自分が大人だという確信は、自己のルールを定め、そこに安住する事である。
 人は、大人になると同時に老化する。
 老化とは、乾き、縮み、硬くなることだ。
 しなやかさを失い、己を再構築する事の出来ない、ただ、熱的死を待つばかりの存在なのだ。

17.ハッタリ


 極端な事を言うと、今日の写真作品はハッタリの世界とも言える。
 下手くそな写真も、意図的にそうしたんだと強く言い張れるなら、それはそれで、一つの作品である。

 様々な試みがある。
 撮影条件を一切固定して、それで撮影出来ない被写体は撮らないと言う態度で撮影した写真集、近視である自分の目と同じ距離にピントを固定して撮った写真集などがある。
 最近では、手ぶれ補正に反して、手ぶれを増幅させるなんて写真もある。

 或いは、トイカメラだって、その「出来の悪さ」を「味」だとか「カメラの個性」だとか言って、肯定した所からブームが始まる。

 言ってみれば、自分がそれを撮った動機や、撮り続ける理由を説明できなければ、ただ「綺麗な写真」を撮ったと言うだけに過ぎない。
 尤も、世間は綺麗な写真を求めるし、現実的に、そう言う写真の方がやっぱり素晴らしいのだけど……

 勿論、色々考えた結果、好きなものを綺麗なように撮るのが好きなのだという結論に入るなら、それはそれで素晴らしいことだし、そのような結論に至れば、"かつてそうでなかった時"よりも、より迷いなく写真が撮れるはずだ。
 何故なら、その方向に集中することが出来るから。

18.自己追求


 しかし、ここで留意しなければならないことは、人間というのは、よく自分に嘘を吐くと言うことである。
 それは人に対してするより頻繁に、そして自身は、人にされるよりも容易に騙されるのだ。

 だから、こうしたハッタリをキメるとき、自身を騙していてはいけない。
 形振り構わず、強弁しろと言う事ではない。むしろ、そうしなければ写真が撮れないと言うのなら、それは自分に対して、あまりにも稚拙な嘘を用意してしまった事を証明する事に他ならない。

 迷わないことは重要だが、迷いを忘れることは危険だ。
 迷っていない状態とは三つある。

・視野が狭くて、迷っている事に気付いていない状態
・闇の気配を感じつつ、目を瞑って走っている状態
・全てがクリアになって、四方八方に闇が残っていない状態

この状態は、恐らく、スパイラルのように何度も繰り返し訪れるだろう。
 何かに気付き、視野が広がり、迷いが消え去る。
 そうして、更に未知の世界へ足を踏み出し、そして、またそこで、暗闇と出会うのだ。

 そうした時、少しだけ後戻りしてみるのも悪くないかも知れない。
 その昔、撮る事を捨ててしまった被写体に舞い戻ってみるのも悪くない。
 また、馬鹿にしていた技法やカメラを見直すと言う事もある。
 難しいことばかりが探求ではない。
 探求とは、常に己を革命し続けることなのだ。