2019年12月6日金曜日

【瞬遥景】エントリーモデルのお話

初心者は初心者向けカメラを買うべきかというお話があります。 沼にハマったら、どのみち上のグレードのカメラが欲しくなるのだから、低いグレードのカメラは買うべきではないと言うお話です。

この話は、部分的に同意するものの、全面的に同意するのは難しいと感じます。 先ず、初心者が本当にハマるのかどうかが、現時点で不明確であると言うこと、そして不明確な段階で重たいカメラを持たせて、それが原因で嫌になる可能性があるからです。

普段から重たい一眼レフに重たいレンズを持って歩いていると、カメラの重たさは存外気にならなくなるものですが、カメラの趣味がなく、その上、運動の習慣もない人からすれば、その重たさはかなりの苦痛になります。

勿論、買うまでの間に、様々な点で悩む事になるのですが、その時に無駄になると言う考え方は、かなり危険なのではと思います。そんなことを言ったら、使わなくなったらそれはもっと無駄なのですから。

仮に無駄になると言う議論が必要だとして、無駄になるのでしたら、もっと安いカメラから始めると言うのは悪くない選択肢だと思うのですよ。 事実、途中で諦めたり、早々にアップグレードした人が容易に手放すのですから。

第二の問題として、初心者向けのグレードのカメラは、面白くないカメラなのでしょうか? 弘法は筆を選ばずとまでは申しませんが、趣味である以上、画質や画素数は二の次でもよいのかなと思うのですよ。

根本的な問題として、入門機が力不足に感じる原因は、本当に自分のしたかった事ができないと言う問題なのでしょうか? 他者と比べたり、新しいカメラが出てスペックを比較して負けたとか劣ったとか考える事なのではないでしょうか?

そのようになったら最後、写真を撮る事よりも、カメラの情報を集める事が楽しくなり、撮影に出かける予算をカメラに使うようになってしまいます。

足るを知ると言う言葉は、贅沢を我慢すると言う意味ではなく、必要以上の事にお金を使うのを慎むと言う意味ではないでしょうか? 何が必要で、その目的に合致するものは何なのかを考えると言う意味で。

2019年10月23日水曜日

024~カメラと写真のこれからのこと



補足になるのですが、当世に於いても、ストーリーのないむき出しの写真というものは、素材として消費されるばかりで、写真の鑑賞となりますと、その撮影手段や意図やそこに至る情報が含まれた場合が専らです。
今後もそのようになって行くと考えられますし、その限りに於いては、技術的側面は重要ではなくなります。なのでマニュアルで露出を決める事などは、写真の本質ではなくなり得るでしょう。
そうなった時でも、カメラを操作する楽しさや。芸術性や実用性を抜きに、撮りたいものを撮る営みも残ると考えます。そのような、長期的に見て変わらない事を、一つずつ積み重ねる事に、意味を見出しているのです。
勿論、インスタレーションとしての写真や、意図を鑑賞者に委ねるタイプの写真、そもそも写真を撮らない写真の提示など、様々な表現方法が考えられますが、それはアートとしての問題なので、こちらでは深く触れません。
また、技術によって新たな表現が出てくる余地は、無限にあるわけですし、その時に、最新のカメラが必要になることもあるでしょう。ただ、それは鉄鋼技術によりピアノの音域が広がったのと同じことですね。
ピアノが人間の全可聴域をカバーできるようになったあとでも、チェンバロはなくなった訳ではありませんし、音楽を楽しむ人間の欲動そのものは変わりません。重要なことは、その普遍の部分が写真にもありえるのだと言うことです。