2013年1月8日火曜日

トリミングの話

 カメラ持って外に出て、やぁやぁ、今日は良いモノが撮れたぞと思って、家に帰ってきたとしよう。
 メディアからパソコンに落とした時、構図がイマイチだなぁと思ったらどうします?

 不作だ! って言って消してしまうのも、アリと言えばアリなんですが、それって、自分の失敗を「黒歴史」の一言で片付けて何にもなかったような顔をするのと一緒じゃないですか?
 成熟と言う言葉で、人生から学ぶことを拒否した人は、それが十代だろうと老人だし、俺はまだまだだと思えば、齢八十を超えようと若者だ。

 と、言う事で、その写真から何かを得る事が必要だ。どうするか?
 ちゃっちゃとトリミングとか、水平出しとかしちゃえばいいんです。

 邪道とか言っている人間には好きにさせておきましょう。せいぜい自分好みの道を王道と名付けていればいいさと。

 いや、ちゃんと構図を考えて写真が撮れればいいけれど、そのセンスを磨くには、やっぱり自分の写真を見直して、反省しなくちゃいけない。
 見るだけで、ああ、ここはこっち側の方が……とか言っていても、頭に残るモノじゃありません。実際その絵を作って、その目でイメージを確認した方がいいに決まっている。


 また、構図は考えていたけれど、様々な制約上、それが出来なかった……と言うときは、トリミングするときのイメージを先に持って撮影すればいいんですよ。
 「この写真は正方フォーマットにしよう」って決めておくとかね。
 こんな例を出すのは尊大すぎかもしれませんが、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「サン=ラザール駅裏」はトリミングされているんですよね。
 でね、それは何故かというと、柵越しで撮影していて、その柵が映り込んでしまっていたからなんだそうです。カルティエ・ブレッソンは、その完成のイメージを持った状態で、トリミングする事を見越した写真を撮っていた訳なんですね。
 重要なのは手段じゃなくて、どのような表現をしたいかなんです。


 さて、結局、手段そのものは写真に残らない。
 トリミングしても大きく引き延ばさない限り分からない。
 だから、やっていいのか? って話にするのは嫌だけれど、手段について何か偉そうなコトを言うには、余程特異なコトをしなくちゃいけないんだと思うんですよ。

 JPEGで撮ってますって言うのが自慢になるのは、撮った写真を締め切り直前の新聞に載っけられますとか、そんなレベルの話じゃないですか。(それが職業として決定的な技術になる訳ですが)
 「オレは一発で決めたぜ」とか、「緊張感がある」とか言うのは、ダゲレオタイプだの何だの、撮影までに相当な苦労をするような写真に限って言える事で、そんなチョットばかりの不自由さで威張られても、何も届いてこないんですよね。

 「写らない」事に対して文句を言うなら、そんなチマチマした事なんかより、もっと言うべき事があるんじゃないのか?
 花の写真撮ろうってんで、花壇の中に足を踏み入れる馬鹿者とか、鳥の写真が撮りたいって言うんで、爆竹で鳥を脅して飛び立たせるカスとか、電車のために、人の畑の中とか、線路内に立ち入って写真を撮るゴミとか……

 鉄道自体は嫌いじゃないけど、撮り鉄やってる人間のマナーの悪さは、見るにつけ、聞くにつけ、嫌悪感は増すばかりで、写真撮ってる人間がコレなんだから、知らない人はもっと気持ち悪がっているんだなぁとか思うわけですね。(勿論、「そう言う人は一部の人間だ」と言う意見を、頭ごなしに否定しませんが)
 その話は、長くなるからやめるけど、この前なんか、どっかの学校の同好会で、顧問まで一緒になって線路内に立ち入ったって言うじゃないですか。大人にもなっても、好きな相手の困ることやって、自分を満足させるだけなんて、ストーカーと同じじゃねぇかと。

 カメラに限らず、歩道とか公園とか走っているランナーが、対向の歩行者を邪魔だなぁって目で見るとか、ピストに乗ってる人間が公道で危険な走り方をするとか、はたまたコスプレしたオバハンが秋葉原の歩道で露出してたとか、そう言う話はよく聞くし、たびたび見るわけですね。


 日本人は、"自分がしている事と違う事をする人間"を攻撃したがるって言うけれど、言ってみれば、それは予防線なんですよね。
 熱心に電車の写真取ってる奴がおるってのを、「ああ、鉄道が好きなんだなぁ」って大目に見ておいて、実際、こう言う事になっている。


 一部の馬鹿が、その趣味全体の印象を悪くして、仕舞いには何らかの規制が入ったりするわけですよ。でも、知らない人間には、一部なのか全てなのか見極めようもないし、被害者にそれを要求するのは、賞味期限切れの牛乳並べてたスーパーが「賞味期限を確認しないから悪い」って喚くのと同じでしょ。
 あいつらと俺は違うって言って納得するのは、本人だけ。だけど、そのように主張できるように、自分は人の道を外れてはいけない。

 表現の自由という言葉は、一つの権利であり、権利というのは他の誰かから与えられたものではない。
 だからこそ、己の手で保全しなければならない。



 とかまぁ、言ってみたモノの「俺は大人だよ」ってタイプの人間が、アレコレどーでもいい事に口を出して大きな顔しているのもアレだし……
 例えば、僕に「人から見られたらどう思われる」的な事を言っていた"大人の人"が、影でこそこそ似たような事、いやもっと悪い事をやっていたとか知っていると、上記の"モラル"云々は、本気でどうでもいい話になってしまう。
 対等な関係で、お互いにきちっとした事を言い合える友達を作るか、それが難しければ孤独にやっていくしかないかなぁ。人の事を憂えた所で、何が変わるわけでもないのだから……