2012年12月26日水曜日

HDRI、トーンマッピング、HDR風

 JPEGは24bitで表現されているけれど、3DCGのテクスチャに使用するなどの理由で、より大きなダイナミックレンジを持つ画像が求められたとき、露出の違う複数の写真から、32bitやそれ以上のフォーマットのファイルを作り出したのがHDRI。

 HDR合成とか、単にHDRとか言うのは、複数の写真を合成して、コントラスト比をどうにかこうにか一枚の写真に収めた写真を合成する方法。PhotoshopとかPhotomatixProとか使って作る(ソフトは山のようにあるので、)。
 また、自動的にそれをやってくれる機能付きのカメラもある。(iPhoneに付いてくるHDRも自動でやっているクチだ)
 何にしても、JPEGにしている時点で、ダイナミックレンジそのものは広がっている訳じゃないから、HDRと言う言葉を使う事すら間違っていると言う意見もある。
 その場合は、トーンマッピングと言うのが恐らく正解だけど、普通にHDRで通るので、目くじらを立てるような事ではないだろう。

 HDR合成した写真は、往々にして(複数の写真の辻褄を合わせるため)エッジがぼけたり、全体がぬめっとした光芒を得たりする事がある。これを真似て一枚の写真から作るのが「HDR風写真」で、カメラのアートフィルターとかnanHDRなんてソフト。
 PhotomatixProはウォーターマークが入る試用版が無料。nanHDRはフリーソフトで、どちらもお手軽にHDR及びHDR風写真が作れる。



 と言う、ご託を並べた所で、早速HDRを試してみよう。

 先ずは、一段階ずつ露出を変えた四枚の写真を用意する(最低でも二枚)。
 今回は夜景という事もあって、三脚使って撮影したけど、ソフト側で補正するので、日中であれば、高速連写を使ってブンケット撮影しても大丈夫だ。







 あとは、ソフトに放り込むだけだけど、今回は、PhotomatixProを使う。
 (Elementじゃない)Photoshopは持っていないし、他のフリーで使える(試用版のある)ソフトを幾つか試したけど、日本語化されていて、軽くて、結果もまずますだったので、これを使う事にした。

 PhotomatixProは、有料のソフトだれど、「評価版を継続使用」する事も出来る。
 有料版との違いは、ウォーターマークが入るかは入らないかなので、お金のない現状では、無料版を使わせて貰います。

 PhotomatixProを立ち上げると、ライセンスを聞いてくるので「評価版を継続使用」を選択。
 「ブンケットした写真のロード」から、「ソースイメージを選択」を出して、そこに写真を放り込む(複数選択してドラッグアンドドロップも可能)。
 「OK」を押すと、「処理オプション」が出てくる。
 「イメージのズレを調整」は三脚撮影ならチェックを外して、手持ちで連写したなら、チェックを入れて、「縦横と回転のズレを修正」を選択しておこう。
 「ゴーストを減らす」は、今回は三脚撮影なので、入れないでおいた。先に書いたように、手持ち撮影なら入れておくこと。「自動」でも問題なかったけど、「手動」の方が推奨されるようだ。(単に僕の試行回数が少ないだけです)
 「ノイズを減らす」は、写真を現像する時点でやっていると思うので、チェックを外す。
 「色収差を減らす」も"如何にもHDR風"と言うのを作りたいと思わなければ、チェックを入れておく。
 そうしてこんな画面になる。基本的には画面下に出ているプリセットから気に入ったのを選べばいいけれど、調整が色々利くので、うっかりすると、よい時間泥棒になってしまう。 


 と言う事で、作ってみたのを出してみます。「トーンマッピング」(自動)。


 メーカーの説明によると、「より自然」になると言う「露出合成(自動)」。

 何がいいかは、好みとか作意とかに左右されるので何も言わないけれど、楽しく遊べることだけは確かです。


 因みに、一枚目の写真をLightroomを使って、シャドーを持ち上げた写真がこちら。
 これでもいいんじゃないかと言われると……

 否、本当のHDRなんてどうでもいい、HDR風の写真が欲しいんだ!
 って人には、nanHDR(なんちゃってHDR)なんてフリーソフトがある。

 一つ前の写真を、このソフトに掛けるとこんな感じになります。
 曲線のなめらかな物体(新幹線とか車とか)を撮るともっとぬめっとした感じになるのかな?


 さて、ここからは、更にどーでもいい戯言になるのですが、「HDRは邪道」なんて言葉があるらしく、何というか、「それはギャグで言っているのか?」みたいな。
 身を挺したギャグである事を願いたいのですが、「写真 邪道 」とGoogleの検索キーワードに入れると、「レタッチ」や「トリミング」なんて出てきます。
 他には「顔認識は邪道」だとか、「AF-Cは邪道」だとか言う言葉も見えますね。
 その昔は「AF」そのものが邪道だったらしいですから、世の中随分と寛容になりましたね。

 表現に邪道だ王道だと「路線」を決める時点で、それは表現として終了してしまっている感じですね。
 それとも「俺の表現こそが"正しい"んだ」とか言いたいのでしょうか? 「自分が長年やってきた事」だけを根拠に、自分以外の手段に不寛容になるのを俗に「老害」と言いまして、その人が何歳だろうと、自身が「権力的」であると信じている時点で、表現の極北に当たりますな。
 人間成長するには、自分を疑うことが必要です。

 写真の無加工主義は、多分、写真が如何にも"簡単に"撮れてしまう事に対する負い目なんだろうなと思います。
 絵画は時間を掛けて描くのに対し、写真はシャッターを押すだけですから。
 まぁ、その一瞬で決まってしまうと言う特性が、哲学的に大変重要な要素になるとは思いますが、彼等はそこまで考えますまい。

 しかし、考えてみて下さいよ、デジカメで撮るにしてもフィルムで撮るにしても、それは人為的に調整された装置を用いて、要は"綺麗に撮るように加工(調整)された"装置やフィルムを用いている時点で、"無加工"ではないんですよね。
 言ってみれば、いじめを教唆した人間はいじめを実行した人間じゃないから無罪みたいな感覚ですよ。
 自分で銀板を磨いたり、硝子に塗布する薬剤を調整したりしない限り、「無加工」ではないんですよね。
 もっと言えば、全くの手探りであったことが、唯一"創造的"であるとするなら、"真の写真"と言えるのはニエプス(とダケール)ぐらいしか撮影出来なかったとも言えます。

 表現には多分二つあって、「結果の表現」と「手段の表現」があります。
 勿論、どちらが王道と言うわけではありません、でも、「この写真はJPEG撮って出しなんだぜ、俺って凄いだろう」と言われても「そんなもん知らねぇよ」としか言えませんよね。
 制限することによって産まれる表現と言うのには、必ず理由や思想が存在します。
 例えば、「100mm、SS=1/125、F8」でしか撮らないとか「フォーカスは90cm」で固定するとかそんな写真です。
 もっと言えば、(無作為の作意も含めて)「何を考えているか」がなければ、どれほど技術を掛けようと、それは表現ではないと言えます。
 それを語ることが重要だとは言いませんが、単に「きれいな写真」を追い求めている分には、何も得られないに違いありません。

 とか、なかなか堂々とした事をエラソーに語っているのですが、大抵の人間は凡人です。
 ビロードの指と鷹の目を持っていない人間には、楽しく撮れることが重要ですね。

 あ、さて、最後にトリミングについて、救いの言葉を残しておきましょう。
 ちょっと前に某カメラ屋さんに行ったんですよ。
 そこで、どうしようもなく構図の撮れていない写真があったんですね。犬の写真です。微妙に被写体ぶれを起こしているんですね。そんでもって、犬は概ね左下に配置されていて、左の方を向いているんです。真上とも斜めとも言いがたい微妙な角度で、"褒めどころが一つもない"みたいな写真なんですね。(お前の写真も何撮ってるか分からんと言われそうですけど)
 それがまぁ、常連さんの作例として展示されてるんです。ラベルには、大層なカメラと大層なレンズが書いてありましてね。
 私からしたら、写真なんか載せずに、そのラベルを大きく引き延ばせばいいんじゃないかとか……
 被写体ぶれは兎も角、僕がその写真をどうしても一般に公開するつもりなら、トリミングするでしょうね。
 「コイツ写真下手やなぁ」と言われるのと「コイツ、センス微塵もねぇなぁ」と言われるのだったら、前者を選びますね。
 「下手」はいつか上手くなるだろうと思われますが、「センスがない」と言うのは、殆ど絶望的とも言えますからね。「センスを磨く」と言う表現はあっても「センスを得る」と言う表現はありません。一方、「技術」は「得る」事も「磨く」事も出来るのですから。