Q.ニコンとキヤノンとでは、どちらのカメラがいいの?
A.分からないようならどっち買っても同じだし、分かるほどなら、どちらを使ってもいい写真が撮れます。
以上
とか言ってもアレなんですが、「中立の立場で考えるNikon or Canonの比較と選び方(http://matome.naver.jp/odai/2137546332959035601)」とか見ていて、「あぁ……」と嘆息が出たので、一々突っ込んで行こうかなとか。
1.画質がどーの
画質がどうとか、色合いがどうだとか、人の写真を見て、貴方の目でそれが分からなければ、意味がないでしょう。
分からないのに、人から言われたと言うだけで、カメラを選ぶなんて主体性のない事をやっていて、どうして"自分"の写真なんてものを撮れるのでしょうか?
少しでもよいカメラの方が、少しでもよい写真を撮れると言う事はありません。
他のもっと大きな要素を外してしまった写真に於いて、カメラの性能で変化する程の僅かな違いが、どれほど人の目を引きつけるでしょうか?
99%の写真が、99.9%になれば、完璧に向かって9割も前進したことになりますが、10%の写真が10.9%になったところで、せいぜい1%しか前進していないのです。
そして、その程度の違いは、偶然性に支配されるレベルなのです。
2.プロがどーの
貴方はプロじゃない。
素晴らしいカメラマンほど、弘法筆を選ばずだったりします。
ある人は、マキナを使うし、ある人はライカを使います。あるカメラマンはHOLGAを使っています。
"商業写真"の世界だって、ニコンとキヤノンの二択ではありません。せめて、もっと色んな情報に触れた上で「プロのような」なんて台詞を吐いて下さい。
大体、今から写真を始めようって人や、アマチュア界隈で遊んでいる人が、「プロのように」なんて考えるのおかしくないですか?
僕は、そんな恥知らずな発言したら、顔から火が出てしまいます。
プロは、その写真を撮るために、自分に対してどれほどの投資を行ったと思うんですか? 金額的にも時間的にも。
本当かどうか分からないけど、割と出来のいい話がある。
ある人が、ピカソに絵を描いて貰ったらとんでもない金額を請求されたそうだ、請求された人は「10分で描いたのにその値段は何だ」と怒るんですよ。そこで、ピカソはこう切り返した「30年と10分だ」と。
今のカメラは撮れば写るけど、ただ写っただけの写真で、「プロみたいな」とか言うのは、ぞっとしませんね。
プロカメラマンごっこ遊びがしたいならご自由に。カメラメーカーの売上げに寄与してやって下さいませ。でも、僕に近寄らないでいただけます?
3.光学的なスコアの良さ、客観的なデータ
カメラの性能が写真の善し悪しを決定するのであれば、今の普通の人は、先人の著名な写真家よりも素晴らしい写真を撮っている事になるでしょう。
4.それでどっちがいーの?
こういうのって、1DXとD4Sとどっちがいいとか、5D3とD800とどっちがいい、って話になるけど、結局、初心者が買うのってKissとかその辺のエントリー機種になってしまう。
貴方が、カメラ選びで悩むのであれば、必要な情報はカメラの話で、メーカーの話ではない。
勿論、壊れやすいとか、ユーザーサポートが最悪だとか、そう言う札付きのメーカーがあれば別でしょうが、仮にそんなモノがあれば、カメラを選ぶ段階で、突っ込みが入るでしょう。
知らないものを知ろうとする時、何故、利口ぶる必要があるのでしょうか?
カメラが買いたいとき、本当に必要な情報は、メーカーの話なんかじゃない。
どうしてもメーカーの違いについての知識が必要だというなら、貴方は、その前段として、何故、他のメーカーを除外したのか、その理由がなくてはならない。
カメラメーカーなんて沢山あるのに、何故ニコンとキヤノンだけなの?
SONYだって、OLYMPUSだって、Panasonic、Pentax、FUJIFILM、SIGMAだってあるのに、なんでこの二つなの?
名前で目立ちたいだけなの? それなら、LEICAとかHasselbladとか、MAMIYAとか、あるじゃないですか!
別に、メーカーの名前でカメラを選んだっていいんですよ。喜んで持ち歩いて、写真撮っていけば、そのうち上達するから。
でも、それってカメラが好きなんじゃなくて、カメラの名前とかスペックとか新しさに惹かれているだけでしょ? 人に見せびらかして、「一流の品を持っている」って顔をしたいだけなんでしょう?
そんな風にしてカメラを持っていても、新しいカメラが出てきたり、もっと良いカメラを持っている人に出くわしたら、自分のカメラがみすぼらしく見えて、写真を撮れなくなってしまうぞ!
つまり、こういうネタを見て喜ぶのは、「俺の選択は間違ってはいなかったんだ」って思い込みたい人や、「自分が間違った商品を買うのは嫌だ」って思いを持つ人々だ。
常に「賢い選択をしたい」って思いから、何でもかんでも比較できる情報を集めて、少しでも自分を安心したいんだ。
もっと悪い言い方をするなら、「悪い商品を選んで人から笑われたくない」って、非常に矮小な恐怖心に追い立てられているだけだ。
そして、こういう矮小な恐怖心を誤魔化すために、人のカメラを見て、「自分のカメラより安いカメラだ」と嘲るのだ。そうやって誤魔化すほど、自分がそのように笑われているのではないかと恐れるようになってしまう。
写真を撮りたいのか、カメラを持ちたいのか?
カメラを持ちたいって言うだけなら、別にニコンやキヤノンなんか持たずに、クラシックカメラを集めて、防湿庫に並べて一人にやついて、或いは来客に自慢すれば良いじゃないですか?
なんで、そう言う気持ちに嘘を吐いて、「どっちが良い写真を撮れるの?」なんて無意味な事を聞くのでしょうか?
格好を付けたいのは分かるけれど、写真の世界で一番格好の付くのは、一番良い写真を撮る事です。
良い写真はカメラが撮るものではなく、貴方が撮るものなのだ。
その為には、写真を多く撮る必要があり、これは、そのカメラをよく持ち歩くことを意味する。
よく持ち歩きたいカメラとは、好きになるカメラなのだ。
カメラが好きになる理由として、カメラの装飾的価値は評価に値するし、実際に、そこから本気になるのなら、それも素晴らしいことだと思う。
むしろ、そういうものナシに無垢に表現の為に入ったなんて言い出すヤツがいたら、余程の聖人か、自惚れ屋の嘘吐きだ。
カメラが"高い商品である"と言う事を理由に持っている人は、コーディネートも趣味性も感じられないのに、ただ高いと言うだけで、ブランドもののバッグを持っているのと変わらない。
自分だけ鼻が高い思いをするだけで、傍からは大層みっともなく見えるものである。
どんなものでも、「どちらがいい?」と言う話になると、勝手に「自分とソレに敵対する勢力」という風に世界を見てしまい、片方に対する猛烈なヘイトを垂れ流す人がいる。
そんな人間が、果たして立派な人間であり、幸せな人間であり、賢い人間であり、優れた人間であろうか?
どっち派であるというレッテルを自分や他人に貼らないこと、自分と他者を比較しないこと。優れているように"見える"と言う事に喜ばないこと。
重要なことはカメラ以前に、沢山目の前に転がっている。