2015年4月1日水曜日

桜の写真とかで

 花の名所なんかに出掛けると、もう、(自分もその一人なんだが)何処から湧いて出てきたんだよって勢いで、一眼レフ持ってるおっちゃんに、ミラーレスの女子にまぁ、諸々、様々なカメラで色んなモン撮ってるわけですよ。
 記念写真とかなら、全然気にならないんだけど、いやしくも作品作りましょうって感じの人を見ると、多分、違うんだろうなぁとか暗澹たる気持ちになるわけです。


 あんまし愉快な話じゃないんだけど、桜の写真なんか見ると、みんな綺麗に撮ろうとしてるじゃないですか。或いは、主題と副題の違いもなく、漫然と"よいもの"を配置しようとしている。

 こう、そう言う事の以前に、「よい」と言うモノに対しての不信感というのが、根本としてあるから、「ストックフォト的な良さ」ってのを狙いたくない自分がいる。
 いやまぁ、そういうのを得る努力に対して、達成感が感じられないんだよなぁと。

 例えば、親子が桜を見ながら歩いている絵なんかは、すんごい分かりやすいし、誰もからウケのいい写真だろう。
 でも、コレを実現するには、そう言う親子と知り合いになってモデルとして歩いて貰うか、然もなくばそれらしい瞬間を盗撮するしかない。

 こう、ストリートフォトに関して、「日本は肖像権とかそう言う煩い問題があって、地獄みたいな環境だ」と言うのは分かるけど、それならそれで、普通に海外で写真を撮ればいいわけで、国内で後ろめたい気持ちを持ちながらやる価値はないんだよね。
 そんでもって、僕の収入的に頑張って、臆病な気持ちを無理矢理奮い立たせて、海外に出掛けて、そこまでして撮るのが、"ベタな親子の肖像"なんてのは、正直釣り合いが取れないんだなぁと。

 大体、写真なんかの為に、精神を不安定にしたってしゃぁない訳で、その為には、気軽に自分の撮りたいモノを撮るよって結論に至ってる。

 で、こう、いつの頃か分からないけど、僕は、ストーリーよりも構造の方に重きを置くようになってしまっていて、こればっかりは人受けを狙う訳にもいかないしなぁと。