2014年4月9日水曜日

考えないことを考える

 人間は、何かにつけて予断というモノを持ってしまう。固定観念というモノを持ってしまう。
 人を判断するとき、社会、世界について考える時、完璧に思い込みを言うモノを排除するのは難しい。
 本当に難しいのは、自分がそうであると言う事を悟ることかも知れない。

 写真を撮るとき、何かの思い込みでそれを撮っているのではないのか、と言う事を考える必要がある。
 何を考えて撮っているかというのは重要だが、しかしその考えの根拠が、因循姑息な"誰か"のルールであったりしたら、それはその考えのカーボンコピーでしかないのだ。



 何でこんな話をしたかというと、先日「構図とか考えて写真を撮るのは辛い。面白くないから、今はそういうのを考えないで写真を撮っている」なんて言葉を見かけたからだ。

 構図なんてモノは、指針であってもルールじゃない。
 構図の解説本に書いてある構図をキッチリ守って撮った写真が、写真としての完成度が高いかと言えば、そんなことは全くない。
 逆に、気持ちいい写真は何処かしら構図が整っているものだ――何て言っても、実際、微妙すぎる構図で撮る人もおるしなぁ。


 いやまぁ、以前にも書いたけど、写真が成果物を得るための手段じゃなくて、写真を撮る事そのものが遊びであり、コミュニケーションの手段だって言うんなら、難しい事考えずに、わきゃわきゃ撮っていれば良いんですよね。
 むしろ、そう言う場面で、構図とは、露出とは……なんて言い出した方が、よっぽど感じが悪いわけで。


 あー、どっちがええのか分からんよ。
 考えずに撮って、上手い写真が撮れるようになりたい!

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