ってネタから夢想が広がる。
元ネタは、2010年の
Googleのエイプリルフールネタなんだけど、和文タイプライターを思い出して笑った。
和文タイプライターの現物は、一度だけ何処か(確か今はなき某研究所)の倉庫のゴミの中に埋まっているのを見ただけである。
和文タイプライターは、一文字一文字、活字(判子)を選んで入力する道具で、欲しい漢字がなければ、活字を買ってこなくちゃいけないし、そこにもなければ、職人に彫って貰わなくちゃいけない代物だ。
そんな訳で、外国人にあのキーボードを見せるとき、「たまに日本人なのに語彙が少ない人とかいるでしょ? アレは頭が悪いからじゃなくて、キーを買うお金がないからなんだよ!」と言おうという事になるのだ。
何で、こんなのから写真の話になるんだよって事なんだけど、もうちょっと続く。
兎に角まぁ、和文タイプライターは後にワープロ専用機に置き換わる訳だけど(未だに電子タイプライターが売られているが、誰が買うの?)それも、パソコンの普及で消えてしまった。
とは言え、未だにフィルムカメラを使う人間がいるように、ワープロ専用機に拘りを持つ人がいる。
メリットは、基本フリーズしないとか、セキュリティが万全だとか、サポート切れなんか起こさない(正確にはサポートなんてもう存在しない)なんてのがある。
僕が思うに、ネットで情報拾うのに必死になって文章が書けなくなるのを防ぐと言う効果が一番だと思う。
少々シンパシーを感じまして、中古市場を伺うと、ノスタルジックな感傷に浸りまして、なんかこう、何でも出来てしまいそうな気になってしまいました。
いやまぁ、置く場所ないからいらないんだけどさ(あ
ワープロというと少々難がありますが、ポメラなんかがあるから、今、復活させても一定数売れるんじゃねぇの? とか思う訳ですね。Lomo LC-Aが売れてるみたいに。
でも、欲しい機能とか色々考えると、ポメラのデカイ版になってしまうと言う問題点がorz
そう考えると、フィルムカメラのポメラがLomoだの何だのなのかなぁとか考えると、それはそれで淋しくなりましてねぇ……
そうそう、ワープロの件に絡めて、XPのサポート切れだの何だのを思うんです。
ワープロのメリットに、アップデートなんて不要だって言うのがあるんですよね。
外字フロッピーはちゃうのかい? とか言う突っ込みは兎も角、あの時代は、ソフトウェアに金を払うって言う時代じゃなかったんだなぁと。
その意味で、XPのサポートがどうのって言っている人は、旧世代的なんだなと。
Vistaが出てきたときに、XPの方が便利だって言って、旧機種を買ってきた人が今、つまずいているのかも知れないなと。
そんでもって、8.1より7の方が使いやすいからって理由で、XPから7に乗り換える人って、多分、7のサポートが切れるときにまた一悶着起こすんだろうなぁと。
XPがいいとか、7がいいとか声高に叫ぶ人って、「パソコンにちょっと詳しい気取りの人」に多いんですよね。
こう、こういう手合いは、どういう訳か、セキュリティに関する認識がガバガバなんですよ。
USBメモリーをいきなり引っこ抜くと怒るくせに、Windowsのアップデートを「重くなるからやるな」とか、「会社のパソコンで変なところに行くこと自体がおかしいんだから、セキュリティソフトなんて入れるのが間違っとる」とか訳の分かったような、分かってない言い訳で、会社全体のパソコンが悲惨なことにしている。
ソフトウェアにも賞味期限があって、定期的に金を払わなくちゃいけないんですよって事を考えないとなぁ。
そう、今や、セキュリティソフトに、IMEに、現像ソフトにレタッチソフトまで定期購入していまして、こう言うのって少し前までは考えられないことだったんだ。
そして、そう言う商売がやっていけるって事は、消費者の理解も浸透してきたのかなと。
デジタルカメラは、昔のカメラのように古くなっても使えるって風じゃなくて、新しいもの、新しいものに更新し続けなくちゃいけないって所があって、その辺を考えて行くと、「進歩的」って未だに大量生産、大量消費、大量廃棄の世界なんだなと思う訳です。
バブル期と違うのは、それがモノではなくて多くは、ソフトウェア的なものなんだなと。
こう、若い人ってアニメの放送が終わると原作はまだ連載続いているのに「オワコン」って言いたがるじゃないですか。
アレって、「今が終われば新しい何かが来る」って言う、大量消費志向なんだよね。
流行も価値観もあっと言う間に消費されて、履き潰されて、そうして放り投げてしまって、生産者はそれにせっつかれて生産し、そして、消費者は生産にせっつかれて消費していくのだ。
写真は、その意味で「いま=ここ」性が鍵になるから、そう言う時代には向かないんだと思う。
今や、彫刻や絵画よりもインスタレーションだったりするでしょ?