2013年11月27日水曜日

あいち戦国姫隊

 今は毎週水曜日に、名古屋城に登場するって事で、ちょっとだけ撮ってみた。

 写真を撮る人にとっては、やっぱりこういう環境はナシだなと思った。
 視線を自由に得られる訳でもないし、光のコントロールだって出来ない、人垣が邪魔で、思うようなフレームワークが出来ない。
 こう言う事を、じゃぁ、ここで実現しようとすれば、非常に我が儘な事を言うことになるから、その辺を妥協して撮影することになる。その辺の妥協で、いい写真になるのかというと、それは違うなと。
 いやまぁ、記録としては写ればいいのだけど、撮って気持ちいいかと言われればナシだなと。
 この辺は、コスプレの囲み撮影と同じだ。

 んでもって、今回は具体的にどんな不満かというと、撮影時間が12時過ぎぐらい。って事で、冬とはいえ光線は高い高度からやって来る。
 当然、顔に影が差す訳で、目にくまのような影が出る(他にほうれい線や鼻の下辺りの影も出てきてみっともない)。
 強力なストロボでも焚けばいいかなぁとも思うけど、こういう所で、そんな事やっちゃう?

送信者 名城公園



 って事で、二枚目の写真は、見事にそう言う影が出ている。他の写真はもっと酷かった。
 まぁ、私の腕の問題だと言えば、それまでなんだけどねぇ。

 自己紹介と雑談で十分強という所か。その後、三十分ぐらい掛けてサイン会、最後にちょこっと集合写真という感じ。
 サイン会に集まったのは二十人強ぐらいか。殆ど固定ファンだろう。
 演舞を別の時間にやるのだけど、並んでレンズを向けるって行為には相変わらず疑問を感じるのでパスした。



 別にアイドルファンはダメだと言うつもりではないが、僕には無理だなと思った。
 こういう交流の時間がファンにとって楽しい時間に違いないのだろうけれど、僕はその部分にこそ不快感を感じる。

 ここで僕が何をどうアピールした所で、彼女たちにとって格別の存在(と言っても友達と思う程度の意味)にはなりはしない。確かに、足繁く通えば顔を覚えてくれるだろうし、名乗ればそれだって憶えてくれるだろう。幾らか言葉を交わせば、それに応じた受け答えをしてくれると期待できる。
 しかし、そこにそれ以上の意味はあるだろうか?

 僕が今、何か突発的な事件により命を落としたとする。その時、通夜や葬式に来る人は何人いるだろう?
 僕の場合、せいぜい親戚が幾人か集まる程度だろう。そして、それは親戚だからと言う理由以外の理由を持たない。そこで、彼らが僕のことに関して何を語るのだろう。
 特別な存在とは、詰まる所、葬式にて故人を偲ぶ程の思い出がある存在と言う事だ。

 我々が往年の歌姫の死や、偉大な俳優の死を前にして、その思い出を語ることは幾らでも出来る。しかし、彼らが我々を語ることは決してない。
 ローカルアイドルや地下アイドルの類にしても、その関係はほぼ変わらない。
 ファンであると言う事は、その状態で満足することである。これに異論がある方は、間違いなくアイドル依存症である。精神科への通院を強くお勧めする。

 自分が特別でないと言う事でも、なお満足するというポリシーは、決して恥ずかしいことではない。
 むしろ、普通はそういう風にして、現実と折り合いを付けるものだ。
 だから、もう一度言うけれど、僕はアイドルファンを否定しない。
 "自分はそうならない"と言うだけの理由で相手を否定する人間は、どんな人間だろうと、実際愚劣だから。


 僕の精神は、"何処まで行っても孤独だ"と言う事に、未だに諦めきれない所があるようだ。
 それ故に、その可能性から遠ざかるような事に対して、拒絶するところがあるのだろう。
 こういうアイドルを見て、僕自身が僕自身に「これはない」と語りかけるのは、そんな事情である。