2013年8月25日日曜日

一眼レフ難民? やっちまってから始める写真講座②

 カメラの良い所は――特に最近のデジカメの良い所は、ボタン操作ができるのなら、誰でも成果物を得る事が出来ると言うことだ。

 この事実が、写真趣味に暗い影を落とすことを肝に銘じなければならない!

6.目的ある写真撮影は羨ましい


 世の中には二種類の人間がある。それは「好きこそものの上手なれ」的な人と、「下手の横好き」的な人の二つである。
 後者には、目的がある人が多いような気がする。(目的のある人が後者であると言う意味ではない)

  こう言ってしまうと怒られるかも知れないけれど、「被写体を記録すること」が目的になってしまっているような人は、「写ってさえいれば、それで良い写真」なのだ。

 このブログでも、着ぐるみの写真なんかを上げると、一時的にアクセス数が増えるが、これは、僕の写真を気に入って見に来てくれるお客さんではない。
 ここで注目すべきなのは、「そう言う人でも、見に来てくれるだけ有難く思え」などと言う精神論ではなくて、そうした写真は「被写体」の写真であると言うことだ。

 つまり「僕が撮った写真」が素晴らしいのではなく、「被写体が魅力的(鑑賞者の趣味に合う)」と言うだけの事なのだ。
 その辺からすれば、別に僕が撮らなくたって問題ないのである。

 と、言う所を突き詰めていくと、何を撮っても面白くなくなる。


 こうした傾向は、他のコスプレ写真にもあるだろう。鉄道写真にも、或いは旅行写真なんかにもあるだろう――家族写真を人に見せる時にも同様の問題を生じるに違いない。

 「目的のある写真」とは言ってみれば、記録の為の写真である。
 ヤフオクに出品する為に撮影するとか、いくらかの例外はあるけれど、それとて拡大解釈すれば、記録の為である。

 記録の為の写真は、記録したい部分が、過不足なく記録されていることが重要となる。
 だから、本当の記録写真というのは、"芸術的な"写真とは違う技術を要するのは事実だ。

 ここでは、記録写真について、何かを語ると言う事をしない。
 何故なら、記録するものが決まっている人は、"一眼レフ難民"などと嘆くよりも先に、大切な記録を残すことに必死だからだ。


 記録写真を馬鹿にしている訳ではない。
 子供の成長記録が残せるというのは幸せなことだし、好きなものに集中して取り組めると言うのは悪い事ではない。
 尤も、タチの悪い鉄ヲタや、盗撮犯のような輩は認める訳にはいかないのだけど。

7.何を撮りたいか


 鉄道写真は記録写真だと断言したけれど、記録すると言う目的ではない鉄道写真も数多くある。
 それに、先に書いたように、記録写真とて技術とセンスを要するものだ。
 写真の基礎的な技術について勉強するのは、無駄な事ではない。

 「写真はセンスで撮るものだ」としつこく言い立てる人もいる。
 ある点では確かにそうだろう。
 しかし、それは他のあらゆる趣味、絵を描くにしても、詩を読むにしても、はたまた野球で速いボールを投げるにしても、練習は必要だし、技術というものも存在している。
 「障害の問題で出来ない」と言う事を除けば、センスのない人でもある程度の事も出来るし、また、それが趣味である以上、レベルが低かろうと下手だろうと、好きにそれを楽しむ権利がある。
 また、センスだって意識的に磨く事だって出来るのだから、不毛な否定など無視すれば良い。

 重要なのは、何をどのように撮りたいかと言うことである。

 無目的な写真については、また後に述べるとして、ここでは、撮りたいものを見つける事について語る。


 結論としては、好きなものを撮れ、なければ作れ。
 と言うことである。

 新しい趣味に手を広げることは、自分の可能性を広げてくれる。
 折角カメラを買ったのだから、山に行こう、旅に出よう、イベントに顔を出してみよう。

 もう一度書くけれど、別に芸術面を狙わなくたって、記録だっていいのだ。
 兎に角、一枚でも多くの写真を撮って、カメラを使う事を考える事が重要である。

 体力に自信がないというなら、プラモデルや模型、ドールやフィギュアを買ったって良い。
 何かを作り始めるのだっていいんじゃないだろうか?

 カメラを買ったと言う事は、何かを撮るつもりで買った筈だ。
 カメラを持てば、何か普段気に掛けないものでも、写真の収める事が出来ると考えた筈だ。

 ならば、次は、被写体を見つける作業に出なければならない。
 確かに、何処に出掛けても、面白いものなど容易に見つけられない。
 それを、「君自身が面白くない人間だからだ」と責めた所で、何か新たな扉が開く訳ではない。

 面白い人間に無理になる必要はなく、実際、写真を撮るぐらいしか趣味のない人間は、そんなに面白い人間ばかりではない。
 重要なのは、面白そうだと思ったことに対して、素直にファインダーを向けられる勇気である。
(ただ、それが見知らぬ女子中学生やエスカレーターの下の方から覗いたスカートの中だったりすると、警察の厄介になるのだけど)

 重要なのは、"何か"に興味を持つことである。
 それさえ出来たら、もう、あとは何の問題もない。好きに撮り続ければいい。
 手持ちの機材では、撮りたいものを上手く撮れないというのなら、それを実現する為に、世界には無数の写真機材が揃っている。


 と、希望的な事を書いたが、「そんな簡単な話じゃねぇよ」と言われたら、「そうだね」としか答えられないのが、今の僕である。
 僕もネガティブな人間だから、「どうせ撮ったって面白くない」と決めつけがちである。
 そして、意を決して撮ってみた所で、そうした予想は、よく当たるものだ。
 だから、撮らない理由を多く見つける気持ちは分かる。

 と、言う事で、次は、目的のなさについて、冒頭の言葉をもう一度噛み締めてみる。

……第三回目に続く。

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