って、胡散臭いセミナーの広告じゃないですか! やだー!
言葉狩りをするつもりはないけど、何でもかんでも難民扱いするのはなぁと。
要するに、カメラは買ったはいいものの、カメラを持てあましてるってだけの事でしょ。ネカフェ難民は兎も角、恵まれた環境で、そう言う使い方するのはねぇ。
とか、嫌みなことを言いましたが、この状況、昔から繰り返されているなぁと。
はっきりと分かるのは、Windows95が出てきた時、無目的にパソコン買った奴が、結局使わずに埃を被ったままになったって事かな。
最近の例では、"フィーチャー・フォン(ガラケー)で充分な人"が、理由もなくスマホ持って、周囲の男子or若者に、アレコレ聞きまくって迷惑がられるとか、そんな感じの現象。
そんでもってね、買ったはいいものの使わないってんなら、さっさと諦めて中古屋に売っ払っちゃった方がいいんじゃないかなぁとか、そう思うんですよ。
パソコンの場合は、まぁ粗大ゴミにしかならんし、ケイタイの場合は否応もなくラインナップが限られるから、諦めて操作に慣れるしかないんだろうけど、カメラは余程長期間放置しなければ、一割ぐらいは戻ってくると思うよ!
って、そんな問題じゃないか。
一々、「一眼レフ難民」なんてタイトルのエントリーを読むって事は、「もう一度カメラを使ってみたい」って滾る思いがあるからなんだろう!
って事で、「もう、カメラ持ってるから、新しいの買えってのはナシだよ」を前提に写真話を始めようかなと。
1."カメラ"に不満を懐いているのか?
「一眼レフ難民急増」に並ぶ文句に「買ってはいけない一眼レフ」とか言ってる。
大体「買ってはいけない」って、デタラメだらけのイタイ本として有名だ。その時点で、一笑に付す価値があるというか、むしろ、ああいう本に引っかかるような人がターゲットなんだろうなと。
「買ってはいけない」に感銘を受ける様な人は、僕の皮肉なエントリーなんか読まずに、迷わずセミナーに参加してみて下さい。きっと、精神的な満足が得られるだろうから。
さて、そんなんじゃない、聡明な君たちに告ぐ!
よっぽどなカメラ買わない限り、カメラにはどこかしら良い所があるはずだ!
そもそも一眼レフである。
一眼レフにしろ、ミラーレス一眼にしろ、特異な例を除いて、全てマトモなメーカーである。
否、マトモなメーカーじゃないと作れない。
各種のメーカーは、その系譜の何処かに光学メーカーがあるはずだ。さもなくば、誰もが知る光学機器メーカーから、レンズの供給を受けている。
そういう所を見れば、そのカメラで撮った写真に何か不満足な事があると言えるだろうか?
カメラそのものに対して何か不満があるとすれば、それは初心者が懐くべき感情ではない。
だって、カメラによって写真が左右される程の腕があるなら、全ての問題を自分自身で見つけられるからだ。
結局、そのような人は、単にファッション感覚でカメラを買っているに違いない。
否、ファッション感覚そのものに問題はない。
問題は、自分が選び取ったファッションを継続的に持ち続ける意思がないと言うことである。
流行に敏感とは、得てしてオリジナリティの欠如を意味する。
流行を牽引するとか、先取りするとか、そう言う類のオリジナリティなら兎も角、テレビや雑誌で「この夏は○○が流行る」と言われてから飛びつくなら、それは広告代理店にしてやられているだけである。
他の人と同じ格好をして、それで安心できると言うならまだしも、自分自身は他の人間とは違うと思いたいのならば、そう言う種類のファッションを選び取るべきではない。
はっきり言うが、カメラそのものに不満を懐く人は、それが最先端の製品でないとか、最高級品でないと言う事に不満を懐く人である。
自分よりグレードの高いカメラや、新しいカメラを持っている人を見ると、自分のカメラが突然みすぼらしく、貧乏らしく見えるのだ。
こういう人は、別にカメラを趣味にする必要はない。
自分にとって本当によいと言えるモノを選び取る資格すらない。
だから、そのような人は、カメラなんかにお金を使わずに、時計や車にお金をつぎ込み、ジャケットをオーダーしよう。
金を投入しただけ満足を得られるし、多分、カメラより長い間、人に自慢していられる。
2.本当にカメラの"性能"に不満を懐いているのか?
「別に格好を付ける為に買った訳じゃない!」
と激しく言い立てる人がいるだろう。
「見てくれ、このオカン服を、このオタクらしい服装を! ファッションなんて、生まれてこの方、気にした事なんてない」
そう叫ぶ人達もいるだろう。
そう言う人達が、カメラに対して失望しているとすれば、それは「思った通りの写真にならなかった」と言う事だ。
プロっぽいカメラを買えば、直ちにプロのような写真が撮れるなどと思っているのだろうか?
ファッションを否定した君は、次に述べるような考えの人達を馬鹿に出来ない。
「モデルの来ている服を着れば、モデルのようなルックスになれる」
カメラの性能で写真の出来が決定されるのならば、別段写真家なんて職業は存在しないし、東京都だって、恵比寿に写真美術館なんか建てる必要はない。
要するに――カメラにこんなに投資したのだから、その撮った写真でフォロワーやら何やらに、「良い写真だね」なんて事を言われたいのだ。
そう言う感情そのものを否定はしないが、お金を投入すればその通りに答えが出るなんて事は、現実には万に一つもない。
地面に足を付けて歩く世界は、くじ引きだらけのソーシャルゲームじゃないんだ!
こんな風に、考えてみよう。
今のカメラは、半世紀前に比べればずっとずっと性能が高いはずである。
エントリー機種でも、スペックは当時とは比べものにならない程だ。
性能の、写真の出来に対する寄与が、充分大きいのであれば、ああした時代の名作よりもずっと良い写真を貴方の手で撮ることが可能なはずだ。
さぁ、カメラを手にして、写真を撮ろう。名作が撮れると思うならば、今すぐ外に出よう。
3.悪いのは時代か?
肖像権がどうのとか、不審者情報だの、今はとことん窮屈な時代だ。
ロバート・キャパは、終戦直後の日本に来て「ピクトリアルパラダイス」と言う言葉を残した。
その点で、今の日本は実に写真家の天国から遠く隔たっている。
ああ、あの時代は戦争もあり、また戦争後の混乱からも、撮るべき被写体は多かっただろう。
今の人間が見れば、どんなものだって被写体となるに違いない。
いや、まて、考えてみよう。
君が、海外旅行をしたとする。目に入るものは皆、目新しく、どんなものだって特異なもの、人目を引くもの、よい被写体に見えるかも知れない。
しかし、君がそんな写真を見せつけられる段になって、それを果たして"面白い"などと評価出来るだろうか?
出来る!? おお、それは素晴らしいことだ――だが、それは外国人が日本に来た時も同じじゃないか?
極端な事を言えば、君がもっと旅行好きな外国人に写真を見せる事が出来るのなら、玄関から出て、二~三分の風景を写真に収めるだけで、きっと彼らは喜んでくれるだろう。
何故、そうならないのか?
結局は、写真が面白くないのだ。
じゃぁ、面白い写真ってなんだろう?
4.面白い写真って何だ?
「写真そのものが面白い写真」と、「被写体が面白い写真」は別である。
駅前で、オッサンがレオタード着て珍妙なポーズをとっているとしよう。君はすかさずポケットからスマホを取り出し、それを撮影し、帰りの電車の車内で、直ちにツイッターに投稿する。
その光景が面白ければ面白いほど、人はRTするし、ふぁぼりもするだろう。
じゃぁ、そうした写真が「良い写真」なのだろうか?
「面白いものを撮らなくちゃいけない」なんて考えていると、延々と旅行に出掛けて、イベントを追いかけて、それでも、そんな光景を撮影するカメラの多さに辟易として……と言う事になる。
「面白い被写体」を追いかけて、お祭りや何かのイベントを追いかけるジジババや、名の通った名勝地で、今まで全く同じ構図の写真を何万枚も撮られただろう景色で、凝りもせず、「自分だけは違う」と言う顔をしてレンズを向ける……そんな事の何が楽しいだろう?
いやまぁ、それが楽しいというなら、"一眼レフ難民"になんかならないだろう。
詰まる所、君が写真を面白くないと言うのは、面白い被写体に出会わないからである。
5.面白い被写体を捜し求めて……
そうして「写真に収めるべき」だと思う機会が、自分の人生にそれほど存在しない、と言う事を思い知らされることになる。こういう人を指して「自分自身が面白くなくちゃ、面白い写真なんて撮れるはずがない」などと、詰まらない人が訳知り顔で言ったりする。
ああ、僕は面白くない人間だ。
面白くないから、こんな風に、人を追い詰めるような文章を書く。
それが実に、楽しい訳だが、そんな知ったかぶりは無視しよう。
「おもしろさ」を口で説明できるような写真は、ぶっちゃけ二流である。
「このギャグの何が面白いのかと言うと……」なんて事を説明するコントが楽しいはずがない。
"饅頭怖い"を知らない人に「あとは熱いお茶が怖い」なんてオチを付けても、笑って貰えないだろう。
だから、人に認められない事に、それほど苦しむものではない。
自分が良い出来だと思えば、それでひとまず満足して、「ネットにでも上げていれば、そのうち、目利きに見つかって、大々的に取り上げられるだろう」ぐらいに思っていれば良い。
尤も、それは、"撮るだけで絶賛される被写体"に出会うよりも難しい事だろうけどさ。
「面白くもない、センスもない、そんな人間なら、写真を楽しむべきではない!」なんて結論は是非とも避けたい。
だって、特別な運動神経もなく、センスもない人間だって、草野球を楽しむ事だって出来る。
モデルのように容姿に恵まれなくたって、好きな服を着たっていい。
音痴だって、ヒトカラすれば、誰に文句を言われる事もない。
ああ、こうした時、「仲間がいれば楽しい」と言う事を言うリア充の方々もいるだろう。
そんな人は、やっぱり、"一眼レフ難民"などにならないだろう。
だから、ここは、ひとつ、自分一人で楽しめる写真について考察しようじゃないか!
……第二回目に続く
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