2013年8月29日木曜日
2013年8月26日月曜日
一眼レフ難民? やっちまってから始める写真講座③
カメラの良い所は――特に最近のデジカメの良い所は、ボタン操作ができるのなら、誰でも成果物を得る事が出来ると言うことだ。
この事実が、写真趣味に暗い影を落とすことを肝に銘じなければならない!
大切なことなので、二度言いました。
何故、写真に対して、興味を持てないのだろうか?
それは、きっと「誰が撮っても同じだ」と言う感覚だろう。
ぶっちゃけて言うと、撮り鉄の連中が、駅のホームに鈴なりになって、珍しい電車やらを撮っている姿を見て、「馬鹿じゃねぇの」としか私は思わない。
一方、彼らはそうした行為自体が楽しいのだから仕方ない。
コスプレ写真とて、それを撮ったからと言って、レイヤーさんが手放しで喜んでいるなどと馬鹿らしい妄想に浸るのはよした方が良い。
君が充分に容姿の整った人間ならば、カメコとして跳梁するよりも、自分もレイヤーとして活動した方が、友達も出来るだろうし、あわよくば恋人だって出来るかも知れない。
多くのカメコは、自分がその場にいたという記録が欲しいだけなのだ。
だから、無目的な写真を求める人は、無理にコスプレイベントに出ない方がよい。
芸術的な写真を撮りたいのなら、異性の友達を見つけるなり、モデルを雇うなりして、個人撮影に徹するべきなのだ。
兎にも角にも、我々は、目的というものを見つける事が出来ない人間だ。
見つけた目的にさえ、無理のある部分を見つけて、簡単に放棄してしまう。
それは何故だろう?
人と違う事を求めているからだ。
世の中で、尤も惨めったらしい趣味とは何か?
それは、人の趣味を否定する事である。
こういう人は、「他人が好きなものを持っている」と言う事に憎しみを抱く悲しい人間である。
否定する言葉を吐いて、一方的に勝ったつもりになれるなら、全ては自分の足下に位置すると言う妄想である。
言葉で否定しただけで、その存在の価値や大きさが変化するという事はない。
人を貶しただけで、相手の幸福が減ると信じている人間は実に多いが、それは己を惨めにするだけである。
このような人間は、確かに、その認識の中では幸せでいられる。
こうした発想を突き詰めると、「好きなものを持たない」と言う事が、人類最高の地位を持つ事になる。つまり、空っぽな人間は、己の存在価値を最大限に保つ事が出来る。
"自分では何もしない人間"にとって、これ以上都合のいい事はない。
君がそれによって、見事に幸福を味わい、また、己を生かし続けることが出来るのならば、私はその人の趣味を否定しない。(軽蔑はするが)
この趣味の亜種は、「Appleを賞賛する言葉よりもWindowsを馬鹿にする言葉を沢山持つ」ような人間である。
無趣味な人間がヲタクを馬鹿にしたり、クソサブカル野郎のサブカル批判であったり、兎に角、誰かの頭を叩けば、相対的に自分の地位が上になれると信じる人間である。
これは、V社のドールしか認めないとか、S工房の着ぐるみしか萌えないとか、C社のカメラ以外はカスだとか、そう言う事を言う連中と同じである。
まぁ、そう言う人間だけが固まっている分には、好きにしてござれとしか言わないけれど。
写真という素晴らしい趣味を持っているにも関わらず、自分は他と違う人間だと言う意識ばかりが先行した場合も、また同類である。
同じような格好をしたカメコの群の中で、自分だけが素晴らしい写真を撮れると信じる手合いだ。
また、「人と違う」と言う事だけに価値を持つ人間も同類である。
本当のところは、他のアーチストのカーボンコピーであるのに、自分こそは違うぞという顔で落書きをして回る連中である。個性を求めて、却って没個性になる馬鹿な奴らだ。
人と違うと言う事は、別に人より価値のあると言う事を意味しない。
「みんな違ってみんな良い」とは道徳の教科書じみているが、しかし本質である。
違っている事は素晴らしいが、それは別に君に特別な地位を与えている訳ではない。
それが無根拠な自信を元としているのなら、尚更惨めである。
さて、わざわざ、これだけの文章を読んでくれている賢明な読者ならば、このような状況に身を落とすという事の意味が解るだろう。
比較する事の無意味さを考えようと言う事だ。
人生でも同じである。
幸福は計測する事などできないし、数量に変換できないものは、 比較すら不可能である。
人は、それぞれ自由に高まる必要があるのだが、それは己を超越する必要があると言うだけだ。
人は、人に褒めて貰うと嬉しくなるものだから、ついつい、人から褒めて貰う事を意識するようになる。
しかし、大多数の人間は、君とは違う審美眼を持っている。
そうなると、その審美眼に自信のない大多数は、(それは、専門家という顔をして審査する人々にもしばしば見られる傾向だが、)分かりやすい基準を設定して、その数を数えて、点数として、順位として、それを掲示するようになる。
背景のよくボケた写真は、どことなくプロっぽく見えるし、鮮やかでクッキリした写真の方が綺麗に見えるだろう。
目を引く被写体の方が面白い写真に見えるし、人は常に珍しいものを探すものだ。
そう言う良い点を人は数えて、「この写真いいね」と、種々のソーシャルボタンを押すのだ。
しかし、そんな事とて、実体としては虚しいのではないのか?
人がそうして押した数を競った所で、自分自身が何かを得るだろうか?
確かに、有名になれるかも知れない。上手く行けば収入に繋がるかも知れない。
それ以上に、そうである事が、自分の存在証明に感じられるだろう。
勿論、その価値観を否定する訳にはいかない。現実的に、人間はそれを快楽と感じるのだから。
問題なのは、
①人よりも審美眼のズレがある人間
②何処までも他の人と同じものしか作れない人間
である。
これは、①の時、自分が「いいな」と思ったものを、他人が同じように思わない時であり、②の時、自分が「いいな」と思うものを用意した時、大多数の人間も同じものを用意した時である。
①でも、②でも、人はさほど喜んでくれない。
人は、①を見た時は、不出来に見えるあまり、他のノイズに埋もれて仕舞う。②の時は同等な者が大量にあるので、「いいね」の分け前が分散されるからだ。
こうした時、無理にでも、人目の引くもの、人の喜ぶものを撮りに行くと言う選択肢もあるが、それに虚しさを感じるなら、今すぐにでもそれをやめるべきである。
(そんな苦労をしても、嬉しいと思う瞬間の方が大切だと言うなら、その道を放棄する事を薦めはしないが)
重要なのは、人と同じ事でも、また違う事でも、同時に苦しまないことである。
克服するのは難しい。
自分だって、苦しむ事ばかりである。このまま無意味な写真を撮り続けて、人生を終えるのかなどと考えると怖いのだ。
しかし、こうした考えを持つ事は、一つの清涼剤として働く事は間違いない。
さて、ここで一段落しただろうか?
いや、違う。
今度は、写真そのものに対して不信を抱く事になる。
そんなに立派な趣味なのか? と。
次回は、それについて考えていきたい。
この事実が、写真趣味に暗い影を落とすことを肝に銘じなければならない!
大切なことなので、二度言いました。
8.目的を持てないなら、無理に持つ必要はない
何故、写真に対して、興味を持てないのだろうか?
それは、きっと「誰が撮っても同じだ」と言う感覚だろう。
ぶっちゃけて言うと、撮り鉄の連中が、駅のホームに鈴なりになって、珍しい電車やらを撮っている姿を見て、「馬鹿じゃねぇの」としか私は思わない。
一方、彼らはそうした行為自体が楽しいのだから仕方ない。
コスプレ写真とて、それを撮ったからと言って、レイヤーさんが手放しで喜んでいるなどと馬鹿らしい妄想に浸るのはよした方が良い。
君が充分に容姿の整った人間ならば、カメコとして跳梁するよりも、自分もレイヤーとして活動した方が、友達も出来るだろうし、あわよくば恋人だって出来るかも知れない。
多くのカメコは、自分がその場にいたという記録が欲しいだけなのだ。
だから、無目的な写真を求める人は、無理にコスプレイベントに出ない方がよい。
芸術的な写真を撮りたいのなら、異性の友達を見つけるなり、モデルを雇うなりして、個人撮影に徹するべきなのだ。
兎にも角にも、我々は、目的というものを見つける事が出来ない人間だ。
見つけた目的にさえ、無理のある部分を見つけて、簡単に放棄してしまう。
それは何故だろう?
人と違う事を求めているからだ。
9.好きなものがない事が強い訳ではない
世の中で、尤も惨めったらしい趣味とは何か?
それは、人の趣味を否定する事である。
こういう人は、「他人が好きなものを持っている」と言う事に憎しみを抱く悲しい人間である。
否定する言葉を吐いて、一方的に勝ったつもりになれるなら、全ては自分の足下に位置すると言う妄想である。
言葉で否定しただけで、その存在の価値や大きさが変化するという事はない。
人を貶しただけで、相手の幸福が減ると信じている人間は実に多いが、それは己を惨めにするだけである。
このような人間は、確かに、その認識の中では幸せでいられる。
こうした発想を突き詰めると、「好きなものを持たない」と言う事が、人類最高の地位を持つ事になる。つまり、空っぽな人間は、己の存在価値を最大限に保つ事が出来る。
"自分では何もしない人間"にとって、これ以上都合のいい事はない。
君がそれによって、見事に幸福を味わい、また、己を生かし続けることが出来るのならば、私はその人の趣味を否定しない。(軽蔑はするが)
この趣味の亜種は、「Appleを賞賛する言葉よりもWindowsを馬鹿にする言葉を沢山持つ」ような人間である。
無趣味な人間がヲタクを馬鹿にしたり、クソサブカル野郎のサブカル批判であったり、兎に角、誰かの頭を叩けば、相対的に自分の地位が上になれると信じる人間である。
これは、V社のドールしか認めないとか、S工房の着ぐるみしか萌えないとか、C社のカメラ以外はカスだとか、そう言う事を言う連中と同じである。
まぁ、そう言う人間だけが固まっている分には、好きにしてござれとしか言わないけれど。
写真という素晴らしい趣味を持っているにも関わらず、自分は他と違う人間だと言う意識ばかりが先行した場合も、また同類である。
同じような格好をしたカメコの群の中で、自分だけが素晴らしい写真を撮れると信じる手合いだ。
また、「人と違う」と言う事だけに価値を持つ人間も同類である。
本当のところは、他のアーチストのカーボンコピーであるのに、自分こそは違うぞという顔で落書きをして回る連中である。個性を求めて、却って没個性になる馬鹿な奴らだ。
人と違うと言う事は、別に人より価値のあると言う事を意味しない。
「みんな違ってみんな良い」とは道徳の教科書じみているが、しかし本質である。
違っている事は素晴らしいが、それは別に君に特別な地位を与えている訳ではない。
それが無根拠な自信を元としているのなら、尚更惨めである。
10.誰でも出来る事に何の楽しみがあるのか?
さて、わざわざ、これだけの文章を読んでくれている賢明な読者ならば、このような状況に身を落とすという事の意味が解るだろう。
比較する事の無意味さを考えようと言う事だ。
人生でも同じである。
幸福は計測する事などできないし、数量に変換できないものは、 比較すら不可能である。
人は、それぞれ自由に高まる必要があるのだが、それは己を超越する必要があると言うだけだ。
人は、人に褒めて貰うと嬉しくなるものだから、ついつい、人から褒めて貰う事を意識するようになる。
しかし、大多数の人間は、君とは違う審美眼を持っている。
そうなると、その審美眼に自信のない大多数は、(それは、専門家という顔をして審査する人々にもしばしば見られる傾向だが、)分かりやすい基準を設定して、その数を数えて、点数として、順位として、それを掲示するようになる。
背景のよくボケた写真は、どことなくプロっぽく見えるし、鮮やかでクッキリした写真の方が綺麗に見えるだろう。
目を引く被写体の方が面白い写真に見えるし、人は常に珍しいものを探すものだ。
そう言う良い点を人は数えて、「この写真いいね」と、種々のソーシャルボタンを押すのだ。
しかし、そんな事とて、実体としては虚しいのではないのか?
人がそうして押した数を競った所で、自分自身が何かを得るだろうか?
確かに、有名になれるかも知れない。上手く行けば収入に繋がるかも知れない。
それ以上に、そうである事が、自分の存在証明に感じられるだろう。
勿論、その価値観を否定する訳にはいかない。現実的に、人間はそれを快楽と感じるのだから。
問題なのは、
①人よりも審美眼のズレがある人間
②何処までも他の人と同じものしか作れない人間
である。
これは、①の時、自分が「いいな」と思ったものを、他人が同じように思わない時であり、②の時、自分が「いいな」と思うものを用意した時、大多数の人間も同じものを用意した時である。
①でも、②でも、人はさほど喜んでくれない。
人は、①を見た時は、不出来に見えるあまり、他のノイズに埋もれて仕舞う。②の時は同等な者が大量にあるので、「いいね」の分け前が分散されるからだ。
こうした時、無理にでも、人目の引くもの、人の喜ぶものを撮りに行くと言う選択肢もあるが、それに虚しさを感じるなら、今すぐにでもそれをやめるべきである。
(そんな苦労をしても、嬉しいと思う瞬間の方が大切だと言うなら、その道を放棄する事を薦めはしないが)
重要なのは、人と同じ事でも、また違う事でも、同時に苦しまないことである。
克服するのは難しい。
自分だって、苦しむ事ばかりである。このまま無意味な写真を撮り続けて、人生を終えるのかなどと考えると怖いのだ。
しかし、こうした考えを持つ事は、一つの清涼剤として働く事は間違いない。
さて、ここで一段落しただろうか?
いや、違う。
今度は、写真そのものに対して不信を抱く事になる。
そんなに立派な趣味なのか? と。
次回は、それについて考えていきたい。
2013年8月25日日曜日
一眼レフ難民? やっちまってから始める写真講座②
カメラの良い所は――特に最近のデジカメの良い所は、ボタン操作ができるのなら、誰でも成果物を得る事が出来ると言うことだ。
この事実が、写真趣味に暗い影を落とすことを肝に銘じなければならない!
この事実が、写真趣味に暗い影を落とすことを肝に銘じなければならない!
6.目的ある写真撮影は羨ましい
世の中には二種類の人間がある。それは「好きこそものの上手なれ」的な人と、「下手の横好き」的な人の二つである。
後者には、目的がある人が多いような気がする。(目的のある人が後者であると言う意味ではない)
こう言ってしまうと怒られるかも知れないけれど、「被写体を記録すること」が目的になってしまっているような人は、「写ってさえいれば、それで良い写真」なのだ。
このブログでも、着ぐるみの写真なんかを上げると、一時的にアクセス数が増えるが、これは、僕の写真を気に入って見に来てくれるお客さんではない。
ここで注目すべきなのは、「そう言う人でも、見に来てくれるだけ有難く思え」などと言う精神論ではなくて、そうした写真は「被写体」の写真であると言うことだ。
つまり「僕が撮った写真」が素晴らしいのではなく、「被写体が魅力的(鑑賞者の趣味に合う)」と言うだけの事なのだ。
その辺からすれば、別に僕が撮らなくたって問題ないのである。
と、言う所を突き詰めていくと、何を撮っても面白くなくなる。
こうした傾向は、他のコスプレ写真にもあるだろう。鉄道写真にも、或いは旅行写真なんかにもあるだろう――家族写真を人に見せる時にも同様の問題を生じるに違いない。
「目的のある写真」とは言ってみれば、記録の為の写真である。
ヤフオクに出品する為に撮影するとか、いくらかの例外はあるけれど、それとて拡大解釈すれば、記録の為である。
記録の為の写真は、記録したい部分が、過不足なく記録されていることが重要となる。
だから、本当の記録写真というのは、"芸術的な"写真とは違う技術を要するのは事実だ。
ここでは、記録写真について、何かを語ると言う事をしない。
何故なら、記録するものが決まっている人は、"一眼レフ難民"などと嘆くよりも先に、大切な記録を残すことに必死だからだ。
記録写真を馬鹿にしている訳ではない。
子供の成長記録が残せるというのは幸せなことだし、好きなものに集中して取り組めると言うのは悪い事ではない。
尤も、タチの悪い鉄ヲタや、盗撮犯のような輩は認める訳にはいかないのだけど。
何故なら、記録するものが決まっている人は、"一眼レフ難民"などと嘆くよりも先に、大切な記録を残すことに必死だからだ。
記録写真を馬鹿にしている訳ではない。
子供の成長記録が残せるというのは幸せなことだし、好きなものに集中して取り組めると言うのは悪い事ではない。
尤も、タチの悪い鉄ヲタや、盗撮犯のような輩は認める訳にはいかないのだけど。
7.何を撮りたいか
鉄道写真は記録写真だと断言したけれど、記録すると言う目的ではない鉄道写真も数多くある。
それに、先に書いたように、記録写真とて技術とセンスを要するものだ。
写真の基礎的な技術について勉強するのは、無駄な事ではない。
「写真はセンスで撮るものだ」としつこく言い立てる人もいる。
ある点では確かにそうだろう。
しかし、それは他のあらゆる趣味、絵を描くにしても、詩を読むにしても、はたまた野球で速いボールを投げるにしても、練習は必要だし、技術というものも存在している。
「障害の問題で出来ない」と言う事を除けば、センスのない人でもある程度の事も出来るし、また、それが趣味である以上、レベルが低かろうと下手だろうと、好きにそれを楽しむ権利がある。
また、センスだって意識的に磨く事だって出来るのだから、不毛な否定など無視すれば良い。
重要なのは、何をどのように撮りたいかと言うことである。
無目的な写真については、また後に述べるとして、ここでは、撮りたいものを見つける事について語る。
結論としては、好きなものを撮れ、なければ作れ。
と言うことである。
新しい趣味に手を広げることは、自分の可能性を広げてくれる。
折角カメラを買ったのだから、山に行こう、旅に出よう、イベントに顔を出してみよう。
もう一度書くけれど、別に芸術面を狙わなくたって、記録だっていいのだ。
兎に角、一枚でも多くの写真を撮って、カメラを使う事を考える事が重要である。
体力に自信がないというなら、プラモデルや模型、ドールやフィギュアを買ったって良い。
何かを作り始めるのだっていいんじゃないだろうか?
カメラを買ったと言う事は、何かを撮るつもりで買った筈だ。
カメラを持てば、何か普段気に掛けないものでも、写真の収める事が出来ると考えた筈だ。
ならば、次は、被写体を見つける作業に出なければならない。
確かに、何処に出掛けても、面白いものなど容易に見つけられない。
それを、「君自身が面白くない人間だからだ」と責めた所で、何か新たな扉が開く訳ではない。
面白い人間に無理になる必要はなく、実際、写真を撮るぐらいしか趣味のない人間は、そんなに面白い人間ばかりではない。
重要なのは、面白そうだと思ったことに対して、素直にファインダーを向けられる勇気である。
(ただ、それが見知らぬ女子中学生やエスカレーターの下の方から覗いたスカートの中だったりすると、警察の厄介になるのだけど)
重要なのは、"何か"に興味を持つことである。
それさえ出来たら、もう、あとは何の問題もない。好きに撮り続ければいい。
手持ちの機材では、撮りたいものを上手く撮れないというのなら、それを実現する為に、世界には無数の写真機材が揃っている。
と、希望的な事を書いたが、「そんな簡単な話じゃねぇよ」と言われたら、「そうだね」としか答えられないのが、今の僕である。
僕もネガティブな人間だから、「どうせ撮ったって面白くない」と決めつけがちである。
そして、意を決して撮ってみた所で、そうした予想は、よく当たるものだ。
だから、撮らない理由を多く見つける気持ちは分かる。
それに、先に書いたように、記録写真とて技術とセンスを要するものだ。
写真の基礎的な技術について勉強するのは、無駄な事ではない。
「写真はセンスで撮るものだ」としつこく言い立てる人もいる。
ある点では確かにそうだろう。
しかし、それは他のあらゆる趣味、絵を描くにしても、詩を読むにしても、はたまた野球で速いボールを投げるにしても、練習は必要だし、技術というものも存在している。
「障害の問題で出来ない」と言う事を除けば、センスのない人でもある程度の事も出来るし、また、それが趣味である以上、レベルが低かろうと下手だろうと、好きにそれを楽しむ権利がある。
また、センスだって意識的に磨く事だって出来るのだから、不毛な否定など無視すれば良い。
重要なのは、何をどのように撮りたいかと言うことである。
無目的な写真については、また後に述べるとして、ここでは、撮りたいものを見つける事について語る。
結論としては、好きなものを撮れ、なければ作れ。
と言うことである。
新しい趣味に手を広げることは、自分の可能性を広げてくれる。
折角カメラを買ったのだから、山に行こう、旅に出よう、イベントに顔を出してみよう。
もう一度書くけれど、別に芸術面を狙わなくたって、記録だっていいのだ。
兎に角、一枚でも多くの写真を撮って、カメラを使う事を考える事が重要である。
体力に自信がないというなら、プラモデルや模型、ドールやフィギュアを買ったって良い。
何かを作り始めるのだっていいんじゃないだろうか?
カメラを買ったと言う事は、何かを撮るつもりで買った筈だ。
カメラを持てば、何か普段気に掛けないものでも、写真の収める事が出来ると考えた筈だ。
ならば、次は、被写体を見つける作業に出なければならない。
確かに、何処に出掛けても、面白いものなど容易に見つけられない。
それを、「君自身が面白くない人間だからだ」と責めた所で、何か新たな扉が開く訳ではない。
面白い人間に無理になる必要はなく、実際、写真を撮るぐらいしか趣味のない人間は、そんなに面白い人間ばかりではない。
重要なのは、面白そうだと思ったことに対して、素直にファインダーを向けられる勇気である。
(ただ、それが見知らぬ女子中学生やエスカレーターの下の方から覗いたスカートの中だったりすると、警察の厄介になるのだけど)
重要なのは、"何か"に興味を持つことである。
それさえ出来たら、もう、あとは何の問題もない。好きに撮り続ければいい。
手持ちの機材では、撮りたいものを上手く撮れないというのなら、それを実現する為に、世界には無数の写真機材が揃っている。
と、希望的な事を書いたが、「そんな簡単な話じゃねぇよ」と言われたら、「そうだね」としか答えられないのが、今の僕である。
僕もネガティブな人間だから、「どうせ撮ったって面白くない」と決めつけがちである。
そして、意を決して撮ってみた所で、そうした予想は、よく当たるものだ。
だから、撮らない理由を多く見つける気持ちは分かる。
と、言う事で、次は、目的のなさについて、冒頭の言葉をもう一度噛み締めてみる。
……第三回目に続く。
2013年8月24日土曜日
“チェキ”instax mini 90 ネオクラシック
・“チェキ”instax mini 90 ネオクラシック(FUJIFILM)・ニュースリリース(FUJIFILM)
チェキの高級グレードとか出ないかなぁと思っていた矢先に出ていた。
ひょっとして、僕の会話を盗聴してる! 脳内とかのぞき見されている!?<病院行け
それはまぁ、冗談として、富士フイルムはしっかり、写真の遊び方を提案しているなぁと思うんですよ。
他のカメラでも、そういう所があって、中判のコンパクトカメラなんて、Lomoぐらいですよ、今作ってる所。
別にフィルムカメラだからって贔屓にしている訳じゃなくてね、デジカメでももっとニッチな商品作ってやれば良いんですよ。
これも、フジを贔屓にしているって訳じゃないんだけどね、「持っていそうなイメージ」が概ねはっきりしているって言う所がある。
なんか、他のメーカーは欲張りすぎているような所があるかなぁ。
特に、今や一眼レフ(のような形のカメラ)なんてカメラヲタ以外でも持つようになったから、その辺を上手くやらんと。
2013年8月23日金曜日
24.AWBが良い仕事をしてくれる
2013年8月22日木曜日
2013年8月21日水曜日
2013年8月20日火曜日
2013年8月19日月曜日
一眼レフ難民? やっちまってから始める写真講座①
何ぞ「一眼レフ難民」なんて言葉があるようで……
って、胡散臭いセミナーの広告じゃないですか! やだー!
言葉狩りをするつもりはないけど、何でもかんでも難民扱いするのはなぁと。
要するに、カメラは買ったはいいものの、カメラを持てあましてるってだけの事でしょ。ネカフェ難民は兎も角、恵まれた環境で、そう言う使い方するのはねぇ。
とか、嫌みなことを言いましたが、この状況、昔から繰り返されているなぁと。
はっきりと分かるのは、Windows95が出てきた時、無目的にパソコン買った奴が、結局使わずに埃を被ったままになったって事かな。
最近の例では、"フィーチャー・フォン(ガラケー)で充分な人"が、理由もなくスマホ持って、周囲の男子or若者に、アレコレ聞きまくって迷惑がられるとか、そんな感じの現象。
そんでもってね、買ったはいいものの使わないってんなら、さっさと諦めて中古屋に売っ払っちゃった方がいいんじゃないかなぁとか、そう思うんですよ。
パソコンの場合は、まぁ粗大ゴミにしかならんし、ケイタイの場合は否応もなくラインナップが限られるから、諦めて操作に慣れるしかないんだろうけど、カメラは余程長期間放置しなければ、一割ぐらいは戻ってくると思うよ!
って、そんな問題じゃないか。
一々、「一眼レフ難民」なんてタイトルのエントリーを読むって事は、「もう一度カメラを使ってみたい」って滾る思いがあるからなんだろう!
って事で、「もう、カメラ持ってるから、新しいの買えってのはナシだよ」を前提に写真話を始めようかなと。
「一眼レフ難民急増」に並ぶ文句に「買ってはいけない一眼レフ」とか言ってる。
大体「買ってはいけない」って、デタラメだらけのイタイ本として有名だ。その時点で、一笑に付す価値があるというか、むしろ、ああいう本に引っかかるような人がターゲットなんだろうなと。
「買ってはいけない」に感銘を受ける様な人は、僕の皮肉なエントリーなんか読まずに、迷わずセミナーに参加してみて下さい。きっと、精神的な満足が得られるだろうから。
さて、そんなんじゃない、聡明な君たちに告ぐ!
よっぽどなカメラ買わない限り、カメラにはどこかしら良い所があるはずだ!
そもそも一眼レフである。
一眼レフにしろ、ミラーレス一眼にしろ、特異な例を除いて、全てマトモなメーカーである。
否、マトモなメーカーじゃないと作れない。
各種のメーカーは、その系譜の何処かに光学メーカーがあるはずだ。さもなくば、誰もが知る光学機器メーカーから、レンズの供給を受けている。
そういう所を見れば、そのカメラで撮った写真に何か不満足な事があると言えるだろうか?
カメラそのものに対して何か不満があるとすれば、それは初心者が懐くべき感情ではない。
だって、カメラによって写真が左右される程の腕があるなら、全ての問題を自分自身で見つけられるからだ。
結局、そのような人は、単にファッション感覚でカメラを買っているに違いない。
否、ファッション感覚そのものに問題はない。
問題は、自分が選び取ったファッションを継続的に持ち続ける意思がないと言うことである。
流行に敏感とは、得てしてオリジナリティの欠如を意味する。
流行を牽引するとか、先取りするとか、そう言う類のオリジナリティなら兎も角、テレビや雑誌で「この夏は○○が流行る」と言われてから飛びつくなら、それは広告代理店にしてやられているだけである。
他の人と同じ格好をして、それで安心できると言うならまだしも、自分自身は他の人間とは違うと思いたいのならば、そう言う種類のファッションを選び取るべきではない。
はっきり言うが、カメラそのものに不満を懐く人は、それが最先端の製品でないとか、最高級品でないと言う事に不満を懐く人である。
自分よりグレードの高いカメラや、新しいカメラを持っている人を見ると、自分のカメラが突然みすぼらしく、貧乏らしく見えるのだ。
こういう人は、別にカメラを趣味にする必要はない。
自分にとって本当によいと言えるモノを選び取る資格すらない。
だから、そのような人は、カメラなんかにお金を使わずに、時計や車にお金をつぎ込み、ジャケットをオーダーしよう。
金を投入しただけ満足を得られるし、多分、カメラより長い間、人に自慢していられる。
「別に格好を付ける為に買った訳じゃない!」
と激しく言い立てる人がいるだろう。
「見てくれ、このオカン服を、このオタクらしい服装を! ファッションなんて、生まれてこの方、気にした事なんてない」
そう叫ぶ人達もいるだろう。
そう言う人達が、カメラに対して失望しているとすれば、それは「思った通りの写真にならなかった」と言う事だ。
プロっぽいカメラを買えば、直ちにプロのような写真が撮れるなどと思っているのだろうか?
ファッションを否定した君は、次に述べるような考えの人達を馬鹿に出来ない。
「モデルの来ている服を着れば、モデルのようなルックスになれる」
カメラの性能で写真の出来が決定されるのならば、別段写真家なんて職業は存在しないし、東京都だって、恵比寿に写真美術館なんか建てる必要はない。
要するに――カメラにこんなに投資したのだから、その撮った写真でフォロワーやら何やらに、「良い写真だね」なんて事を言われたいのだ。
そう言う感情そのものを否定はしないが、お金を投入すればその通りに答えが出るなんて事は、現実には万に一つもない。
地面に足を付けて歩く世界は、くじ引きだらけのソーシャルゲームじゃないんだ!
こんな風に、考えてみよう。
今のカメラは、半世紀前に比べればずっとずっと性能が高いはずである。
エントリー機種でも、スペックは当時とは比べものにならない程だ。
性能の、写真の出来に対する寄与が、充分大きいのであれば、ああした時代の名作よりもずっと良い写真を貴方の手で撮ることが可能なはずだ。
さぁ、カメラを手にして、写真を撮ろう。名作が撮れると思うならば、今すぐ外に出よう。
肖像権がどうのとか、不審者情報だの、今はとことん窮屈な時代だ。
ロバート・キャパは、終戦直後の日本に来て「ピクトリアルパラダイス」と言う言葉を残した。
その点で、今の日本は実に写真家の天国から遠く隔たっている。
ああ、あの時代は戦争もあり、また戦争後の混乱からも、撮るべき被写体は多かっただろう。
今の人間が見れば、どんなものだって被写体となるに違いない。
いや、まて、考えてみよう。
君が、海外旅行をしたとする。目に入るものは皆、目新しく、どんなものだって特異なもの、人目を引くもの、よい被写体に見えるかも知れない。
しかし、君がそんな写真を見せつけられる段になって、それを果たして"面白い"などと評価出来るだろうか?
出来る!? おお、それは素晴らしいことだ――だが、それは外国人が日本に来た時も同じじゃないか?
極端な事を言えば、君がもっと旅行好きな外国人に写真を見せる事が出来るのなら、玄関から出て、二~三分の風景を写真に収めるだけで、きっと彼らは喜んでくれるだろう。
何故、そうならないのか?
結局は、写真が面白くないのだ。
じゃぁ、面白い写真ってなんだろう?
「写真そのものが面白い写真」と、「被写体が面白い写真」は別である。
駅前で、オッサンがレオタード着て珍妙なポーズをとっているとしよう。君はすかさずポケットからスマホを取り出し、それを撮影し、帰りの電車の車内で、直ちにツイッターに投稿する。
その光景が面白ければ面白いほど、人はRTするし、ふぁぼりもするだろう。
じゃぁ、そうした写真が「良い写真」なのだろうか?
「面白いものを撮らなくちゃいけない」なんて考えていると、延々と旅行に出掛けて、イベントを追いかけて、それでも、そんな光景を撮影するカメラの多さに辟易として……と言う事になる。
「面白い被写体」を追いかけて、お祭りや何かのイベントを追いかけるジジババや、名の通った名勝地で、今まで全く同じ構図の写真を何万枚も撮られただろう景色で、凝りもせず、「自分だけは違う」と言う顔をしてレンズを向ける……そんな事の何が楽しいだろう?
いやまぁ、それが楽しいというなら、"一眼レフ難民"になんかならないだろう。
詰まる所、君が写真を面白くないと言うのは、面白い被写体に出会わないからである。
こういう人を指して「自分自身が面白くなくちゃ、面白い写真なんて撮れるはずがない」などと、詰まらない人が訳知り顔で言ったりする。
ああ、僕は面白くない人間だ。
面白くないから、こんな風に、人を追い詰めるような文章を書く。
それが実に、楽しい訳だが、そんな知ったかぶりは無視しよう。
「おもしろさ」を口で説明できるような写真は、ぶっちゃけ二流である。
「このギャグの何が面白いのかと言うと……」なんて事を説明するコントが楽しいはずがない。
"饅頭怖い"を知らない人に「あとは熱いお茶が怖い」なんてオチを付けても、笑って貰えないだろう。
だから、人に認められない事に、それほど苦しむものではない。
自分が良い出来だと思えば、それでひとまず満足して、「ネットにでも上げていれば、そのうち、目利きに見つかって、大々的に取り上げられるだろう」ぐらいに思っていれば良い。
尤も、それは、"撮るだけで絶賛される被写体"に出会うよりも難しい事だろうけどさ。
「面白くもない、センスもない、そんな人間なら、写真を楽しむべきではない!」なんて結論は是非とも避けたい。
だって、特別な運動神経もなく、センスもない人間だって、草野球を楽しむ事だって出来る。
モデルのように容姿に恵まれなくたって、好きな服を着たっていい。
音痴だって、ヒトカラすれば、誰に文句を言われる事もない。
ああ、こうした時、「仲間がいれば楽しい」と言う事を言うリア充の方々もいるだろう。
そんな人は、やっぱり、"一眼レフ難民"などにならないだろう。
だから、ここは、ひとつ、自分一人で楽しめる写真について考察しようじゃないか!
……第二回目に続く
って、胡散臭いセミナーの広告じゃないですか! やだー!
言葉狩りをするつもりはないけど、何でもかんでも難民扱いするのはなぁと。
要するに、カメラは買ったはいいものの、カメラを持てあましてるってだけの事でしょ。ネカフェ難民は兎も角、恵まれた環境で、そう言う使い方するのはねぇ。
とか、嫌みなことを言いましたが、この状況、昔から繰り返されているなぁと。
はっきりと分かるのは、Windows95が出てきた時、無目的にパソコン買った奴が、結局使わずに埃を被ったままになったって事かな。
最近の例では、"フィーチャー・フォン(ガラケー)で充分な人"が、理由もなくスマホ持って、周囲の男子or若者に、アレコレ聞きまくって迷惑がられるとか、そんな感じの現象。
そんでもってね、買ったはいいものの使わないってんなら、さっさと諦めて中古屋に売っ払っちゃった方がいいんじゃないかなぁとか、そう思うんですよ。
パソコンの場合は、まぁ粗大ゴミにしかならんし、ケイタイの場合は否応もなくラインナップが限られるから、諦めて操作に慣れるしかないんだろうけど、カメラは余程長期間放置しなければ、一割ぐらいは戻ってくると思うよ!
って、そんな問題じゃないか。
一々、「一眼レフ難民」なんてタイトルのエントリーを読むって事は、「もう一度カメラを使ってみたい」って滾る思いがあるからなんだろう!
って事で、「もう、カメラ持ってるから、新しいの買えってのはナシだよ」を前提に写真話を始めようかなと。
1."カメラ"に不満を懐いているのか?
「一眼レフ難民急増」に並ぶ文句に「買ってはいけない一眼レフ」とか言ってる。
大体「買ってはいけない」って、デタラメだらけのイタイ本として有名だ。その時点で、一笑に付す価値があるというか、むしろ、ああいう本に引っかかるような人がターゲットなんだろうなと。
「買ってはいけない」に感銘を受ける様な人は、僕の皮肉なエントリーなんか読まずに、迷わずセミナーに参加してみて下さい。きっと、精神的な満足が得られるだろうから。
さて、そんなんじゃない、聡明な君たちに告ぐ!
よっぽどなカメラ買わない限り、カメラにはどこかしら良い所があるはずだ!
そもそも一眼レフである。
一眼レフにしろ、ミラーレス一眼にしろ、特異な例を除いて、全てマトモなメーカーである。
否、マトモなメーカーじゃないと作れない。
各種のメーカーは、その系譜の何処かに光学メーカーがあるはずだ。さもなくば、誰もが知る光学機器メーカーから、レンズの供給を受けている。
そういう所を見れば、そのカメラで撮った写真に何か不満足な事があると言えるだろうか?
カメラそのものに対して何か不満があるとすれば、それは初心者が懐くべき感情ではない。
だって、カメラによって写真が左右される程の腕があるなら、全ての問題を自分自身で見つけられるからだ。
結局、そのような人は、単にファッション感覚でカメラを買っているに違いない。
否、ファッション感覚そのものに問題はない。
問題は、自分が選び取ったファッションを継続的に持ち続ける意思がないと言うことである。
流行に敏感とは、得てしてオリジナリティの欠如を意味する。
流行を牽引するとか、先取りするとか、そう言う類のオリジナリティなら兎も角、テレビや雑誌で「この夏は○○が流行る」と言われてから飛びつくなら、それは広告代理店にしてやられているだけである。
他の人と同じ格好をして、それで安心できると言うならまだしも、自分自身は他の人間とは違うと思いたいのならば、そう言う種類のファッションを選び取るべきではない。
はっきり言うが、カメラそのものに不満を懐く人は、それが最先端の製品でないとか、最高級品でないと言う事に不満を懐く人である。
自分よりグレードの高いカメラや、新しいカメラを持っている人を見ると、自分のカメラが突然みすぼらしく、貧乏らしく見えるのだ。
こういう人は、別にカメラを趣味にする必要はない。
自分にとって本当によいと言えるモノを選び取る資格すらない。
だから、そのような人は、カメラなんかにお金を使わずに、時計や車にお金をつぎ込み、ジャケットをオーダーしよう。
金を投入しただけ満足を得られるし、多分、カメラより長い間、人に自慢していられる。
2.本当にカメラの"性能"に不満を懐いているのか?
「別に格好を付ける為に買った訳じゃない!」
と激しく言い立てる人がいるだろう。
「見てくれ、このオカン服を、このオタクらしい服装を! ファッションなんて、生まれてこの方、気にした事なんてない」
そう叫ぶ人達もいるだろう。
そう言う人達が、カメラに対して失望しているとすれば、それは「思った通りの写真にならなかった」と言う事だ。
プロっぽいカメラを買えば、直ちにプロのような写真が撮れるなどと思っているのだろうか?
ファッションを否定した君は、次に述べるような考えの人達を馬鹿に出来ない。
「モデルの来ている服を着れば、モデルのようなルックスになれる」
カメラの性能で写真の出来が決定されるのならば、別段写真家なんて職業は存在しないし、東京都だって、恵比寿に写真美術館なんか建てる必要はない。
要するに――カメラにこんなに投資したのだから、その撮った写真でフォロワーやら何やらに、「良い写真だね」なんて事を言われたいのだ。
そう言う感情そのものを否定はしないが、お金を投入すればその通りに答えが出るなんて事は、現実には万に一つもない。
地面に足を付けて歩く世界は、くじ引きだらけのソーシャルゲームじゃないんだ!
こんな風に、考えてみよう。
今のカメラは、半世紀前に比べればずっとずっと性能が高いはずである。
エントリー機種でも、スペックは当時とは比べものにならない程だ。
性能の、写真の出来に対する寄与が、充分大きいのであれば、ああした時代の名作よりもずっと良い写真を貴方の手で撮ることが可能なはずだ。
さぁ、カメラを手にして、写真を撮ろう。名作が撮れると思うならば、今すぐ外に出よう。
3.悪いのは時代か?
肖像権がどうのとか、不審者情報だの、今はとことん窮屈な時代だ。
ロバート・キャパは、終戦直後の日本に来て「ピクトリアルパラダイス」と言う言葉を残した。
その点で、今の日本は実に写真家の天国から遠く隔たっている。
ああ、あの時代は戦争もあり、また戦争後の混乱からも、撮るべき被写体は多かっただろう。
今の人間が見れば、どんなものだって被写体となるに違いない。
いや、まて、考えてみよう。
君が、海外旅行をしたとする。目に入るものは皆、目新しく、どんなものだって特異なもの、人目を引くもの、よい被写体に見えるかも知れない。
しかし、君がそんな写真を見せつけられる段になって、それを果たして"面白い"などと評価出来るだろうか?
出来る!? おお、それは素晴らしいことだ――だが、それは外国人が日本に来た時も同じじゃないか?
極端な事を言えば、君がもっと旅行好きな外国人に写真を見せる事が出来るのなら、玄関から出て、二~三分の風景を写真に収めるだけで、きっと彼らは喜んでくれるだろう。
何故、そうならないのか?
結局は、写真が面白くないのだ。
じゃぁ、面白い写真ってなんだろう?
4.面白い写真って何だ?
「写真そのものが面白い写真」と、「被写体が面白い写真」は別である。
駅前で、オッサンがレオタード着て珍妙なポーズをとっているとしよう。君はすかさずポケットからスマホを取り出し、それを撮影し、帰りの電車の車内で、直ちにツイッターに投稿する。
その光景が面白ければ面白いほど、人はRTするし、ふぁぼりもするだろう。
じゃぁ、そうした写真が「良い写真」なのだろうか?
「面白いものを撮らなくちゃいけない」なんて考えていると、延々と旅行に出掛けて、イベントを追いかけて、それでも、そんな光景を撮影するカメラの多さに辟易として……と言う事になる。
「面白い被写体」を追いかけて、お祭りや何かのイベントを追いかけるジジババや、名の通った名勝地で、今まで全く同じ構図の写真を何万枚も撮られただろう景色で、凝りもせず、「自分だけは違う」と言う顔をしてレンズを向ける……そんな事の何が楽しいだろう?
いやまぁ、それが楽しいというなら、"一眼レフ難民"になんかならないだろう。
詰まる所、君が写真を面白くないと言うのは、面白い被写体に出会わないからである。
5.面白い被写体を捜し求めて……
そうして「写真に収めるべき」だと思う機会が、自分の人生にそれほど存在しない、と言う事を思い知らされることになる。こういう人を指して「自分自身が面白くなくちゃ、面白い写真なんて撮れるはずがない」などと、詰まらない人が訳知り顔で言ったりする。
ああ、僕は面白くない人間だ。
面白くないから、こんな風に、人を追い詰めるような文章を書く。
それが実に、楽しい訳だが、そんな知ったかぶりは無視しよう。
「おもしろさ」を口で説明できるような写真は、ぶっちゃけ二流である。
「このギャグの何が面白いのかと言うと……」なんて事を説明するコントが楽しいはずがない。
"饅頭怖い"を知らない人に「あとは熱いお茶が怖い」なんてオチを付けても、笑って貰えないだろう。
だから、人に認められない事に、それほど苦しむものではない。
自分が良い出来だと思えば、それでひとまず満足して、「ネットにでも上げていれば、そのうち、目利きに見つかって、大々的に取り上げられるだろう」ぐらいに思っていれば良い。
尤も、それは、"撮るだけで絶賛される被写体"に出会うよりも難しい事だろうけどさ。
「面白くもない、センスもない、そんな人間なら、写真を楽しむべきではない!」なんて結論は是非とも避けたい。
だって、特別な運動神経もなく、センスもない人間だって、草野球を楽しむ事だって出来る。
モデルのように容姿に恵まれなくたって、好きな服を着たっていい。
音痴だって、ヒトカラすれば、誰に文句を言われる事もない。
ああ、こうした時、「仲間がいれば楽しい」と言う事を言うリア充の方々もいるだろう。
そんな人は、やっぱり、"一眼レフ難民"などにならないだろう。
だから、ここは、ひとつ、自分一人で楽しめる写真について考察しようじゃないか!
……第二回目に続く
2013年8月18日日曜日
20.県美術館
2013年8月17日土曜日
フィルムカメラの撮影データ送信の件(iPhone向けの話)
最近、いいiPhoneアプリを教えて貰いました。
Jsanyってアプリなんですけど、HTMLとJavaScript、CSSのコードを個別に書いて、ソイツを走らせることが出来るってアプリなんですよ!
つまり、iPhone用のアプリを開発しなくても、簡単なツールならささっと作ってしまえるんですね。
そこで思い出すのが、フィルムカメラの撮影データ送信のお話。
この前までは、サーバを立てるなり借りるなりしなくちゃいけなかったモノが、コレ一つで完結するんですね。
まぁ、何はともあれ、コードです。
<head>
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=utf-8" />
<meta name="viewport" content="width=device-width, minimum-scale=1.0,
maximum-scale=1.0, user-scalable=no" />
<meta name="apple-mobile-web-app-capable" content="yes" />
<title>Photo Data</title>
<script src="script.js"></script>
</head>
<body style="background-color:#eee;">
<FORM NAME="mailer" METHOD="post" ACTION="" ENCTYPE="text/plain">
<div>SS</div>
<select name="shuttsp" size="1">
<option value="500">500</option>
<option value="250">250</option>
<option value="125">125</option>
<option value="60">60</option>
<option value="30">30</option>
<option value="15">15</option>
<option value="8">8</option>
<option value="4">4</option>
<option value="2">2</option>
<option value="1sec">1sec</option>
<option value="2sec">2sec</option>
<option value="4sec">4sec</option>
<option value="8sec">8sec</option>
</select>
<select name="fnumber" size="1">
<option value="2.8">2.8</option>
<option value="4">4</option>
<option value="5.6">5.6</option>
<option value="8">8</option>
<option value="11">11</option>
<option value="16">16</option>
<option value="22">22</option>
</select>
<br>
<br>
<br>
<input type="button" name="sht" value="Shutter" onclick="shutter()">
<br>
<br>
<textarea name="datetext" Style="width:300px;height:100px;ime-mode: active;"></textarea>
<br>
<br>
<input type="button" name="sub" value="submit" onclick="gotomail()">
<br>
<br>
<br>
<textarea id="pos" name="latlng" Style="width:300px;height:30px;ime-mode: active;"></textarea>
</form>
</div>
</body>
</html>
window.onload = function(){
navigator.geolocation.watchPosition(update);
}
// 位置か検出されたら緯度、経度、誤差と時間を表示
function update(position){
var lat = position.coords.latitude;
var lng = position.coords.longitude;
var acc = position.coords.accuracy;
document.getElementById("pos").innerHTML = lat+","+lng+","+String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10)+(new Date());
//document.getElementById("pos").innerHTML = lat+","+lng+","+String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10)+(new Date().toLocaleString());
}
//メールの所
function gotomail() {
var mailto = "mailto:「ここに自分のメールアドレス」";
mailto = mailto + "?subject=Photo Data&body=" + document.mailer.datetext.value;
location.href = mailto;
document.mailer.datetext.value = "";
}
//まとめるところ
function shutter() {
// document.mailer.datetext.value = document.mailer.datetext.value + document.mailer.shuttsp.value + String.fromCharCode(9) + document.mailer.fnumber.value + String.fromCharCode(9) + document.mailer.latlng.value + String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10) + String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10);
document.mailer.datetext.value =document.mailer.datetext.value + document.mailer.shuttsp.value + "%09" + document.mailer.fnumber.value + "%09" + document.mailer.latlng.value + "%0D%0A%0D%0A"+ String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10) + String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10);
}
//以上
メールアドレスの所を"「」"も除いて、自分のモノに書き換えて下さい。
って事で、今回はそんだけ!
Jsanyってアプリなんですけど、HTMLとJavaScript、CSSのコードを個別に書いて、ソイツを走らせることが出来るってアプリなんですよ!
つまり、iPhone用のアプリを開発しなくても、簡単なツールならささっと作ってしまえるんですね。
そこで思い出すのが、フィルムカメラの撮影データ送信のお話。
この前までは、サーバを立てるなり借りるなりしなくちゃいけなかったモノが、コレ一つで完結するんですね。
まぁ、何はともあれ、コードです。
HTML
<html><head>
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=utf-8" />
<meta name="viewport" content="width=device-width, minimum-scale=1.0,
maximum-scale=1.0, user-scalable=no" />
<meta name="apple-mobile-web-app-capable" content="yes" />
<title>Photo Data</title>
<script src="script.js"></script>
</head>
<body style="background-color:#eee;">
<FORM NAME="mailer" METHOD="post" ACTION="" ENCTYPE="text/plain">
<div>SS</div>
<select name="shuttsp" size="1">
<option value="500">500</option>
<option value="250">250</option>
<option value="125">125</option>
<option value="60">60</option>
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<option value="2">2</option>
<option value="1sec">1sec</option>
<option value="2sec">2sec</option>
<option value="4sec">4sec</option>
<option value="8sec">8sec</option>
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<select name="fnumber" size="1">
<option value="2.8">2.8</option>
<option value="4">4</option>
<option value="5.6">5.6</option>
<option value="8">8</option>
<option value="11">11</option>
<option value="16">16</option>
<option value="22">22</option>
</select>
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<input type="button" name="sht" value="Shutter" onclick="shutter()">
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<textarea name="datetext" Style="width:300px;height:100px;ime-mode: active;"></textarea>
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<input type="button" name="sub" value="submit" onclick="gotomail()">
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<br>
<textarea id="pos" name="latlng" Style="width:300px;height:30px;ime-mode: active;"></textarea>
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</div>
</body>
</html>
JS
window.onload = function(){
navigator.geolocation.watchPosition(update);
}
// 位置か検出されたら緯度、経度、誤差と時間を表示
function update(position){
var lat = position.coords.latitude;
var lng = position.coords.longitude;
var acc = position.coords.accuracy;
document.getElementById("pos").innerHTML = lat+","+lng+","+String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10)+(new Date());
//document.getElementById("pos").innerHTML = lat+","+lng+","+String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10)+(new Date().toLocaleString());
}
//メールの所
function gotomail() {
var mailto = "mailto:「ここに自分のメールアドレス」";
mailto = mailto + "?subject=Photo Data&body=" + document.mailer.datetext.value;
location.href = mailto;
document.mailer.datetext.value = "";
}
//まとめるところ
function shutter() {
// document.mailer.datetext.value = document.mailer.datetext.value + document.mailer.shuttsp.value + String.fromCharCode(9) + document.mailer.fnumber.value + String.fromCharCode(9) + document.mailer.latlng.value + String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10) + String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10);
document.mailer.datetext.value =document.mailer.datetext.value + document.mailer.shuttsp.value + "%09" + document.mailer.fnumber.value + "%09" + document.mailer.latlng.value + "%0D%0A%0D%0A"+ String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10) + String.fromCharCode(13) + String.fromCharCode(10);
}
//以上
メールアドレスの所を"「」"も除いて、自分のモノに書き換えて下さい。
って事で、今回はそんだけ!
2013年8月16日金曜日
2013年8月15日木曜日
2013年8月14日水曜日
ソニーの「レンズカメラ」の噂とか
・ソニーから大型センサ内蔵の「レンズカメラ」、iPhoneやAndroidと無線接続して撮影?(Engadget Japanese)
・【噂】操作はスマホにおまかせなソニーのレンズカメラ「DSC-QX10」「DSC-QX100」(GIZMODO)
とか書いて、万が一本気で販売して、そこそこの数が出たら怖いけど。
第一報を見たのは、かなり前だった気がするけど……何にしても、本体なしのリコーGXRだなぁと。
GXRの時にも考えたけど、こういうコンセプトは、カメラの可能性を考えるという点で面白い。
フィルムカメラの場合、画質はフィルムを交換することで、画角はレンズで、本体はそれを制御する機能だのと分かれる。
デジカメになると、カメラ本体とレンズの二つだけになり、本体がすぐに二線級に落ちると言う事態が発生した。
まぁ、デジモノ自体の進歩が早いってのもあるから、そういうのも仕方ないけどさ。
その点で言えば、GXRや今回のは、レンズも消費財にしてやろうという恐ろしいコンセプトとも言える。
センサーが古くなったら、レンズ部分が使えなくなるからね。
とは言え、"機能"を背負う部分である本体を、もっと耐久性の低い(消費サイクルの早い)スマホにしてしまおうって言うのは、評価すべき所なのかな。
かなりいい加減だけど、こんな表を作ってみた。
・【噂】操作はスマホにおまかせなソニーのレンズカメラ「DSC-QX10」「DSC-QX100」(GIZMODO)
こんな持ちにくそうな商品。本気なの?
凄くキワモノ臭がするじゃない。上海問屋が売るような商品だよ。
むしろ、上海問屋で売るなら高く評価する。
とか書いて、万が一本気で販売して、そこそこの数が出たら怖いけど。
第一報を見たのは、かなり前だった気がするけど……何にしても、本体なしのリコーGXRだなぁと。
GXRの時にも考えたけど、こういうコンセプトは、カメラの可能性を考えるという点で面白い。
フィルムカメラの場合、画質はフィルムを交換することで、画角はレンズで、本体はそれを制御する機能だのと分かれる。
デジカメになると、カメラ本体とレンズの二つだけになり、本体がすぐに二線級に落ちると言う事態が発生した。
まぁ、デジモノ自体の進歩が早いってのもあるから、そういうのも仕方ないけどさ。
その点で言えば、GXRや今回のは、レンズも消費財にしてやろうという恐ろしいコンセプトとも言える。
センサーが古くなったら、レンズ部分が使えなくなるからね。
とは言え、"機能"を背負う部分である本体を、もっと耐久性の低い(消費サイクルの早い)スマホにしてしまおうって言うのは、評価すべき所なのかな。
かなりいい加減だけど、こんな表を作ってみた。
サイクル | 価格 | 写真への 影響 | |
レンズ | ◎ | △~× | ◎ |
センサー | △ | ○~△ | ○ |
ボディ | ◎ | ○~× | △ |
画像処理 | ×× | ◎~△ | △ |
通信機能 | × | ○~△ | × |
画面 | △ | ○ | △ |
記録 | ○ | ○~△ | × |
レンズは、写真に対する影響が大きい。良いレンズを使ったり、便利なレンズを使ったりと様々な場面で使える。そして、それらは長い間変わらぬ影響力を持つ。
センサーについては、デジカメを10年以上使うってあんまり考えられないから△。
ボディは持ちやすさとか色々あるからなぁ。
どうしてもスマホに使いたかったら、ソレ用のケースも用意してだなぁ……ってテレやマクロや魚眼やワイコンを付けられるiPhoneケースとかあったなぁ。
何れにしろ、商品の大型化が図られる事になるから、元のコンセプトからがっつり離れていくことになる。
画像処理、通信、画面がスマホに乗っかっているから、この部分だけカメラから外してやれば良いんじゃない? ってのが、このネタのキモなんだけど……どうなのよ。
Androidをカメラにぶち込むか、カメラの本体機能をスマホにぶち込むかの二元論しかないのかなぁと。
確かに、3Gから4Gへの変化や、Wi-Fi使う場面もあれば、Bluetoothが必要になる場面もあるだろう。Instagramみたいにフィルターの更新が次々に出てくるとなると、アプリを使えるようにしたいのも分かるよ。
でもなぁ、なんかアホ臭いかなぁ。
逆に、カメラの中にスマホぶち込むスロット用意した方がスマートじゃない?
記録ってのは、メディアのことだけど、もう、メディアの時代じゃないかも知れないって話だよなぁ。
クラウドだのストレージだのに上げるまでの短時間を保持すれば良いんだから、数ギガのメモリがあれば丁度いいと言う所だ。
ただ、これの落とし穴は、後々クラウド上でRaw現像をやりたいとかなると、膨大なサーバを用意しなくちゃならないって事になる。
ソフトウェア的には、Lightroomをクラウドで使うイメージだから、月幾らって値段を取れば良いのだけど、記録容量となるとなぁ。
Flickerがコケなければ、かなり良い線行ってたと思う。
写真を保存、管理して、加工までやってしまう。
一言で言うと簡単だけど、実際やろうとすると難しいんだろうなぁ。
Picasaだ何だと、一応やっている事はやっているけど、理想像とはちょっと違うよね。
写真を保存、管理して、加工までやってしまう。
一言で言うと簡単だけど、実際やろうとすると難しいんだろうなぁ。
Picasaだ何だと、一応やっている事はやっているけど、理想像とはちょっと違うよね。
こうしてみてみると、スマホとの親和性って、必要としているものが、単にスマホに乗っかってるってだけだよね。
→それなら、カメラをスマホに載っければ良いじゃない。
→いや、普通に乗ってるし!
ダメだ!
いやまぁ、Androidカメラとかあるのはさ、結局、スマホにお客さん取られたくないカメラメーカーのあがきというか、そういう感じがするのさ。
今回のコレだって、「スマホより画質が良いのが撮れますよ、デジカメみたいに余計な荷物増えませんよ」って言ってるだけ。
でもさぁ、スマホ一台で済まそうって人は、レンズにしても、何にしても一個でもモノが増えれば、それだけで余計な荷物なんだよね。
今日もカメラ売り場に行けば、カメラの画質を誇る文言ばかり。
でもなぁ、写真をそんなに大きく引き延ばすって人いるのかなぁ。
とか思うのよ。
一部のコアな客以外は、別に画質なんてそんなに必要じゃないんだよね。本当は。
それでも「良い写真が撮れる」なんて謳い文句で商売するのは、いい加減厳しいんじゃないかなぁ。
確かに、「今でも、スマホよりカメラ単体で持ってた方が、画質がいいんだよね」って分かってる人はいるし、スマホとは別にコンデジ持ってる人は多いけど、そう言う層が漸減することはあるにしても、増加するこたぁないだろう。
「じゃぁ、どーすんの」って言われても困るけどね。
結局、お客さんが欲しいのは、写真が撮れる事そのものじゃなくて、写真を通した体験が欲しい訳よ。
だから、InstagramだのTwitterだのFacebookだので、写真を上げて「いいね」を貰うって事が重要になるんだよなぁ。
平たく言えば、高いカメラで、気合いを入れて撮ったレイヤーさんの写真を僕が上げても、あんまし評価上がんないけど、有名な声優がコスプレしてスマホでセルフ撮影した写真の方が、沢山ふぁぼられるよね。って事だよ。
平たく言えば、高いカメラで、気合いを入れて撮ったレイヤーさんの写真を僕が上げても、あんまし評価上がんないけど、有名な声優がコスプレしてスマホでセルフ撮影した写真の方が、沢山ふぁぼられるよね。って事だよ。
衰退産業が代替産業を組み入れて必至になってる姿みたいに見えるのはNGだ。
そういうのは融合じゃなくて、増築ってだけなんだ。無理に盛ったパテは、容易に取れてしまうし、接着剤を付けても、強度不足で、どんどん汚くなるだけなのだ。
さて、話を戻して、センサーと本体を切り離して考えようって所をもう少し煮詰めよう。
そこで、すぐに連想できてしまうのは、35mm用のデジタルバックだ。
二年に一度ぐらいのペースで、釣り記事が登場しては消えるという、デジカメ世代の風物詩である。
冷静に考えると、陳腐化の激しいセンサーを別にして、変わらぬ価値を持つカメラを使うというのは、実に理に適っていると言えるのだけど……
ああいうのに釣られるのは、フィルムを初めて1年以内の人間と相場が決まっている。
「お前はフィルムだからあのカメラを使っているんじゃないのかよ~」とか言ってやれば良い。
結論として、みんなフィルムカメラを使おう! って事で。
2013年8月13日火曜日
2013年8月12日月曜日
こんな着ぐるみも
2013年8月11日日曜日
2013年8月10日土曜日
2013年8月9日金曜日
2013年8月8日木曜日
2013年8月7日水曜日
12.Get7
2013年8月6日火曜日
2013年8月5日月曜日
コスサミ②ネウロイさんその2
2013年8月4日日曜日
コスサミ①ネウロイさんその1
2013年8月3日土曜日
コスサミのこと
2013年8月2日金曜日
2013年8月1日木曜日
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