2013年4月15日月曜日

赤いポラロイドで考える写真の凄いところ

 昨日は、久屋大通のエンゼル広場(駅で言うと矢場町の所)で行われた、コスプレサミットの予選会を見てきました。
 いやぁ、行くところなくって、色々彷徨っているうちに、ここに来てしまったという展開ではあるのだけど……
 赤いポラロイドカメラ(SX-70)で写真撮っては配ってたのは、わたしです(AA略
 ってまぁ、好き勝手に撮った挙げ句、写真イラネとか、頭おかしいだろ……なんてキモがられるのがオチなんだろうなとか、一人で凹んでいるところです(ん


 先に結論だけ言う。

 写真を撮らなければ、そのまま何事もなく消えていく瞬間が、シャッターを切ったというその事だけで、肖像権や著作権という問題を生み出す。
 そして「その写真が存在しうる」と言うだけの事が、未来永劫、撮影者及び被写体に付きまとうのである。たったボタン一つのために!

 いやぁ、凄い事だよ、本当は。
 って、写真を論じるとき、この瞬間性と時間の連続性との関係が、形而上学的にうんちゃらかんちゃら……

本来は、過ぎ去っていく瞬間である。
 "かつて、そこに、あった"と言う事。
 それを留め置く事の意味について、カメラマンはもっと意識的でなくてはならない。



 今まで散々書いてきたけど、コスプレに限らず、人間を写す時、それが誰それであると特定できるような写真は、一つ残らず、肖像権に関わってくる。

 著作権談義は長くなるので割愛するとして、ここで気を重たくするのは「僕がその写真を持っている」と言うことである。
 僕を知らない他の人は、「僕がそれを許可なく公開しない」と言う事を確信できない。
 これは、本人がどう考えるかは兎も角、「僕自身が犯罪者と判断されうる状況」を保持し続けることになる。
 極端な事を言えば、何処かの掲示板に勝手に貼られた写真でトラブルが起きたとき、その人を撮影した人間全てが容疑者となり得る。

 考えすぎではあるが、僕には、少々気分の悪い問題である。


 肖像権は、その本人によって管理されれば問題ないし、また著作権も同様である。
 問題は、肖像権者と著作権者が別人である事だ。(著作者と著作権者が別であるときなど、話が複雑になるが、その件に関しては、身に迫る問題ではないので、何も書かないでおく)
 これは確実に、僕を縛り付けるのだから、僕は人を撮る事に躊躇するわけだ。
 著作権という首に掛けられた紐帯を、どうやって断ち切るか?
 著作権の放棄は、そう宣言するだけで簡単に出来るが、その時、肖像権者だけがそれを利用できるようにしなければならない。
 (フィルム写真にしてもデジタル写真にしても)複写可能な写真に関して、それを担保できるだろうか?

 インスタント写真は、その点に於いて、極めてクリアである。