2015年6月21日日曜日

ありふれた日常

 とか言うタイトルを付けると、日常に倦み疲れた人間の戯言か、然もなくば、毎日は特別なんだという意識高い系の強制ポジティブな話題になりそうだが、そう言う話をするつもりはない。

 ここで言うのは、それを題材にした写真である。
 昨今の日本は、自由にスナップを撮ることが出来なくなって来ている。
 まぁ、それはそれで仕方がないことだから、それについてケチを付けるつもりはないのだが、そういう風な傾向が、今後もずっと強まっていくとしたら、特別な景色しか写真に残らなくなる。

 翻って、我々が古い写真を見て、興味をそそられるのは、割と日常の写真であったりする。
 気になるのは、誰も憶えていない時代の風俗であり、生活である。

 勿論、特別な事件の写真も重要だ。
 しかし、我々アマチュアの写真家が撮っている、"特別な風景"とは何だろうか? 毎年行われている祭りの風景を、何百というカメラが何万という写真を吐き出している風景が、それほど特別な写真となるだろうか?
 百年後の人々は、その写真に辟易としないだろうか?

 日常の風景は、きっと、百年後には誰も憶えていない風景になるのではないか。それを誰も記録しないから。