2014年11月21日金曜日

元を取るというか

 コスパって言葉を、コスプレ衣装屋さん以外の意味で、好んで使う人はなぁ……

 先日、ローカルの情報番組で、「元が取れるランチ」とか「一番コスパのいいメニューは?」とかやっていて、クソ低俗と低脳さ具合を見せつける感じで辟易した。


 大体、元が取れるって感覚が理解出来ない。
 「元」って、どう規定しているんだ? 原価っつったって、製造原価なのか、何なのかよく分からない。
 巷で言われる、「マックの原価は~」で言われるような、原材料費換算で言うなら、千円分の食材をバイキングで喰おう、二千円分のお酒を飲み放題で飲もうとするのは、かなり無茶をしなくちゃいけない。
 まぁ、あの手合いの言う原価って、その程度のモノの考え方なんだけどね。

 仮に、「元が取れる」喰い方をしたところで、ソレが一番喰いたかったものなのかどうかと考えると、絶望的なんじゃないかな。胃袋の大きさなんて知れているわけだし。
 或いは、居酒屋の飲み放題で、安い酒を「元を取るぞ」のかけ声のために、鯨飲して、次の日二日酔いに苦しむとか、どう考えても、自分にとって、何かプラスになんてなってないよね? と。

 それとも、「店主に勝った」「店に嫌がらせをしてやった」ぐらいの気持ちで、「原価割れ」を狙っているのだろうか? だとしたら、実に見下げ果てた精神だと言えよう。



 で、なんで、こんな話が、写真ブログネタになるのか? 最後のオチも、そろそろ気づき始めている向きもあると思うが、もう少し付き合って戴こう。

 よく耳にする言葉で、「人が欲しているのは1/4インチのドリルではなく、1/4インチの穴だ」ってのは、カメラ界隈で言い直せば、「人が欲しいのは、よいカメラではなく、良いカメラを選んだ自分の判断である」と言えるだろう。

 割れ煎餅があまりにも売れるから、普通の煎餅を割って売ってるってのは、人々が「高い煎餅を安く買える賢い消費者」って気持ちを充足させているからなんだろう。
 同じ包装、同じ値段で割れてない煎餅売っても、そんなに売れない筈だ。

 自分の消費行動に、何かしら「合理的」な理由を見つけ出そうとしている連中は、何に付けても、自分の行動を、自分の都合のいいように理由付けするだろう。

 しかし、そう言う「合理性」なんて、真実的な合理性には敵わないし、そもそも、人間の妙味とは、不合理にこそ存在している。


 畢竟、趣味なんてモノに、合理性なんてモノを求める時点で、それ自体が趣味になっているわけじゃない。
 それは、「男らしい硬派な趣味」だの、「デキる大人の洗練された趣味」だのと言うように、自分を外に向けて説明して、自分を納得させるだけのものになっている。
 そう言う、自分の無趣味を誤魔化すための趣味なら、無趣味の方がいくらかマシである。


 勿論、人生万事趣味と思い込むのも、やたらと疲れる話で、人は何処に拘りを持ち、何処に無配慮になるかは自由である。
 僕がカメラのレンズがどうこうと思っていて、自分の服に気を配らないのと同様、他の人はカメラの事なんてどうだって良いが、自分の着る物に熟考を重ねる人だっている。
 それは、それぞれに自分を高揚させているのだから、結構な事じゃないか。

 人間に与えられたリソースは少ない。
 それ故に、他人の瞳の中の自己肯定なんかに心血を注ぐよりも、自分自身に向き合った自己肯定にあらん限りの力を割り振るべきなのではないか。